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に至る。此日奧靑輔を葬る。淋に罹り、尿浸潤に轉じ、內臟轉移に死す。葬地は癈兵院 Invalidenhaus に近き墓地なり。

四日。軍醫監コオレル von Coler を訪ふ。其夫人と相見る。軍醫監スツツクラアド Stuckrad と話す。

五日。石氏と陸軍省醫務局に至る。コオレルシヤイベと公事を談ず。谷口も亦與る。午後石氏及谷口と軍醫學校 Friedrich-Wilhelm-Institut を觀る。一等軍醫アメンデ Amende 延接す。

六日。寺庭村に近き輜重廠 Traindepot を觀る。廠は輜重大隊營の側に在り。

七日。石氏谷口及北川と博覽會苑 Ausstellungspark に至り、美術博覽會を觀る。繒畫の部最も觀るべし。自然主義の漸く藝術の境を襲ひ、暗畫法 Dunkelmalerei 衰へて明畫法 Pleinairismus 起ること是なり。今年の會にシユミツト氏 Frau Schmidt von Preuschen といふものあり。此婦人死王 Mors Imperator と題して、死に帝王の形を賦し、これを會に致しつ。會の委員受けず。婦人怒りて獨逸帝に訴ふ。帝慈諭して曰く。朕老いたりと雖、帝王の形せる死の畫を厭ふ心なし。朕が爲に名畫の擯斥せられんことは望む所に非ずと。婦人此手書を以て委員に逼る。委員の曰く。曩に擯斥の理由を明言せざりしものは、卿の婦人たるを以て、敬意を損ぜんことを恐れてなり。余等豈獨り老天子の爲めに憚るものならんや。卿の畫と其着想と藝術の本意に乖きたり。故に受けざるのみと。婦人彌〻怒りて、ライプチヒ街 Leipzigerstrasse の一大厦を借り、其畫を掛けて衆に示す。衆說婦人に左袒せず。就中一新聞あり。婦人を嘲りて曰く。卿の畫は名實並に陋なり。「モルス」(mors) の語は羅甸にして女性なり。之に男性の帝王 (Imperator) と云ふ語を捏合するは笑ふに堪へたり。宜く女帝 (Imperatrix) と改むべし云々。然れども亦婦人を憐みて、博覽會委員の過酷を攻むる者あり。狂言作者ヰルデンブルツフ Wildenbruch 是なり。其主旨に以爲へらく。委員の畫の着想を以て藝術の本意に乖けりとなすは、未だ以て其畫を擯くる理由と爲すに足らず。此の如くならば、委員の偏僻能く藝術の衰頽を致さんと云ふ。