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Stern は寡婦なり。年四十許。其女姪トルウデル Trudel (Gertrud の略稱) と同じく居る。並に浮薄比なく、饒舌にして遊行を好み、常に家裡に安居する程ならば、寧ろ死なんと云へり。されば余が許に來る書狀物品等も、余の在校中は受け取り置く者なく、又來客あれども應ずるものなし。且十七歲のトルウデルの夜我室を訪ひ、臥床に踞して談話する杯、面白からず。二女は固より惡意あるにはあらず。又其謀る所は一目して看破すべし。然れども平生曾て都人士の敎育あるものに接せしことなく、學問に從事する者を呼びて腐儒 Stockgelehrte となし、余を以て其魁首となせり。余はこれを厭ひて囘避したるなり。今の居は府の東隅所謂古伯林 Alt-Berlin に近く、或は惡漢淫婦の巢窟なりといふものあれど、交を比鄰に求むる意なければ、屑とするに足らず。喜ぶ可きは、余が家の新築に係り、宏壯なることなり。友人來り觀て驚歎せざるなし。前街は土瀝靑を敷き、車行聲なく、夜間往來稀なれば、讀書の妨となることもなし。戶主ケエジング料理店を開き居る故、三餐ともに家にて供せしむ。衞生部との距離步程五分時に過ぎず。余復た何をか求ん。

十六日。晚隈川、北里と好眺苑 Bellevue に至る。ゴリビエウスキイの妓を携へて飮むを見る。共に語らず。

二十日。家書至る。

二十六日。夜谷口を訪ふ。谷口の曰く。僕は留學生取締と交際親密なり。既に渠の爲めに一美人を媒すと。

二十八日。早川大尉を訪ふ。櫻桃子を食ひて閑話す。

三十日。龜井子爵余に名刺入一箇を贈る。余其胃病を療す。故に此贈あり。此日北里の曰く。武島務歸朝の命を受く。子之を知るや。曰曾て聞けり。曰島田輩の說く所に依れば、福島の谷口の讒を容れて此命を下しゝ者の若し。君の意何如。石黑の來るに遭はゞ、僕其の果して谷口を信ずるや否を見んと欲す。曰君石黑に對して谷口の事を可否せんは乃ち不可なること莫らんや。曰固より敢てせず。

七月二日。夜龜井子爵の宅を訪ふ。風雨甚し。石黑忠悳氏書をゲヌア Genua より寄す。