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又別に臨みて詩を舞師某の筆跡帖に題す。

踏舞歌應囑
雕堂平若鏡。電燈粲放光。千姬鬪嬌艶。濃抹又淡妝。
須臾玲瓏天樂起。凌波女伴駕雲郞。錦靴移步諧淸曲。
双々對舞擬鴛鴦。中有東海萬里客。黑袍素襟威貌揚。
風流豈讓碧瞳子。輕擁彼美試飛翔。金髮掩乱不遑整。
汗透羅衣軟玉香。曲罷不忍輙相別。携手細語興味長。
知否佳人寸眸銳。早認日人錦繡膓。君不見詩譏屢舞不譏舞。君子亦登踏舞塲。

午後六時五十五分汽車民顯府を發す。  

十五日。民顯府を發し、普國伯林府に赴く。ロオベルト、コツホ Robert Koch に從ひて細有機物學を修めんと欲するなり。發車塲に來りて余を送る者を橫山又二郞と爲す。他人は余が發程の時刻を知らず。葢し國內を往返するに必ず之を送迎するは素と無益に屬す。余故に諸人に報ぜず。車已に發す。乍ち車室內奇臭あるを認む。同室の婦人の曰く。此れ死鼠の臭なりと。榻下を索む。見る所なし。余の曰く。臭褐色炭を焚くに似たり。恐らくは車燈の瓦斯の導管の罅隙より洩出するならんと。起ちて燈火を掩へる硝子鐘の周匝を嗅ぐ。果して鐘の一側臭尤も甚しきを覺ゆ。停車塲に達して室を換へんことを請ふ。空室なきを以て應ぜず。窓戶を啓けば婦人寒に耐へずと訴ふ。窮困比なし。ニユルンベルヒ Nuernberg に至りて他室に遷ることを得たり。然れども室內立錐の地なし。終夜眠らず。  

十六日。午時伯林府に達す。トヨツプフエル客舘 Toepfer's Hôtel に投ず。午後公使舘に至りて來府の由を陳す。晚與倉某と食堂に相逢ふ。與倉は獸醫なり。曰ふ曾て米に學ぶと。  

十七日。谷口謙の居を訪ふ。名倉幸作と其居を同うす。名倉は知文の子三等軍醫なり。相伴ひて獸苑 Thiergarten に至り、凱旋塔に登る。四方皆家人烟濛々、塔の西卽ち苑なり。林木の芽を放つを見る。東皇の駕將に至らんとするを知るなり。  

十八日。谷口と乃木川上兩少將を其客舘に訪ふ。伊地(知)大尉も亦座に列す。乃木は長身巨頭沈默嚴格の人なり。川上は形体枯瘠、能く談ず。余等と語ること二時間餘、其深く軍醫部の事情に通ずること尤も驚く可し。曰く。