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十九日 (日曜)。加藤の家に夜會あり。小艾の善く歌ふ者を召して伎を奏せしむ。往觀を約して果さず。濱田曰く。菊池軍醫ストラアスブルクに來りて書を寄すと。三浦伯靈より書を寄す。家に送るべき物あらば速に其僑居に搬致せしめよと云ふ。書を作りて其好意を謝す。

二十日。午前十時レンク氏余等を伴ひて郭外ハイドハウゼン Heidhausen の人工酪製造所に至る。原料は牛脂、牛乳、油、及塩なり。副產物を硬脂とす。壓搾して人工酪と分つ。味は甚だ美ならず。然れども必ずしも厭嫌す可きに非ず。北獨逸と英吉利とに輸送し、工人の食に供すと云ふ。塩を混じたるを以て、筐裡に藏すれば半歲味を變ぜずとぞ。歸途中濱と郭外の小酒店に午餐す。市內の半價にて飽まで食ふことを得たり。其の珍膳に非ざるは言はでも明なり。然れども一皿の米粒肉汁、一大塊の牡牛肉、蒸餅及牛酪は滋養には餘あり。店を出でゝマクシミリヤン橋上よりイザアルの下流を望む。稠霧枯林を鎖し、深綠の水其間を流るゝさま、一幅の書圖の若し。寒を忍びて佇立する者多時。カルヽ門 Karlsthor を過ぐ。一少女ありて後より余を呼ぶ。顧視すれば嘗てフインステルワルデルの咖啡店にありて日本人を品評したるアンナなり。曰く今カルヽ門骨喜店 Café Karlsthor に在り。請ふらくは暇時來り訪へと。夜染匠濠 Faerbergraben なる鹿號釀屋 Hirschbraeuhaus に往き、民政會 Demokratischer Verein の演說を聞く。家に歸りて家書に接す。

二十一日。午後三時レンク余等を導きて製粉處 Kunstmuehle に至る。壯大なること德停府のものに讓らず。水力もて全機關を運轉す。

二十二日。三宅伊太利より歸る。「グリユウンワルド」客舘に會す。三宅曰く。フイレンチエ Firenze 大學の衞生部はその觀象裝置未だ必ずしも民顯のものに劣らずと。

二十三日。濱田來り訪ふ。此日試驗室を鎖す。

二十四日。大尉カルヽの家に晚餐す。基督木 Christbaum に火を點したるを見る。燐寸插み一箇を贈らる。

二十五日。ロオトの書至る。叙勳のことを述ぶ。又余が曾て十月の半ばに印刷して送寄せし日本兵食論 (Ar