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けたる人は云ふも更なり、兩側の家は皆窓を開き、車を望みて萬歲と呼ぶ。王族左右を顧みて答禮す。慇懃甚し。此日祭塲にては全牛を煮たり。是も祭式に屬する由なり。

四日。河本來る。伴ひて酒店「シユニヨル」Schnoell に至る。太陽街 Sonnenstrasse に在り。婢ケエチイ Kaethi 頗る姿色あり。曾て岩佐と相識る。

五日。河本去る。

六日。井上巽軒來る。瑞西行の歸途なり。又「シユニヨル」に飮む。詩文を談ず。

七日。夜井上を伴ひて劇を觀る。演する所を餐菫者 Veilchenfresser とす。獨軍尉官の狀態を摸寫す。頗る興あり。

九日。原田を訪ふ。その作る所のミツテンワルドコツヘルの圖を觀る。近衞老公、岩佐、濱田等の肖像半ば成れるものあり。

十三日。ヰルケ Wilke 索遜より至る。ヰルケは現に來責府病院にありてチイルシユ Tiersch の助手たり。今將にチロオル Tirol に遊ばんとす。來りて余を訪ふなり。夜俱に「コロツセウム」Colosseum に至る。高絙伎等を見る。三兒あり。木琴 Xylophon を奏す。其最幼なる者は約三四歲。頗る奇とす可し。

十四日。ヰルケ去る。

十五日。英人演する所の所謂日本劇を觀る。題して御門 Mikado と云ふ。役名などは皆支那人の名に類す。一美人の名をユムユム Yum-Yum と稱するにて、其一斑を窺ふ可し。然れども衣飾器物は皆眞の日本品なり。「宮さんお馬の前にひらするのはなんぢやいなとことんやれな」又は「おゝさびつくりしやつくりと」などの歌を唱ふ。ピツチイ、シング Pitti-Sing と云ふ役を勤むる少女フオルステル Kathi Forster と云ふもの日本服の着けかた殊に良しなどゝ同學中の評あり。

二十一日。ヰルケ又來る。チロオルより歸るなり。夜