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歸し、憐む可し加藤は無名學士となりぬ。葢し余を以て觀れは、加藤は通客なり、長松は顧影自憐の美少年なり。村婢の彼を棄てゝ此を取るも復た怪むに足るもの無し。

七日。七時十五分加藤を送りて停車塲に至る。放學の日を以て瑞西に往くなり。此日家書至る。

九日。午前七時三十分ミユンヘン府を發し、伯靈府に赴く。我軍醫部購求する所の器械を檢するなり。車レエゲンスブルクエエゲル Regensburg, Eger etc. 等を經、麥畝の蟲聲斷えず耳を慰め、時に細流の石間に潺々たるを見る。「ハイデクラウト」Heidekraut の盛に開くを見て、往年野營の事を想ひ起せり。來責を過ぎしは午後六時の頃なりき。フオオゲル氏の家にては今同邦人の集りて晚餐する頃ならんなど思い出でぬ。猶記すべきことこそあれ、レエゲンスブルクにて車を下り、一盞の麥酒を喫せしとき、店婢余を見て微笑す。熟視すればミユンヘン府英吉利骨喜店 Englisches Café の舊婢なり。其名をだに好くも知らねど、知らぬ地にて識る人に逢ふはいと喜ばしきものなり。午夜伯林府に着く。カルゝスプラツツ Karlsplatz なるトヨツプフエル客舘 Toepfer's Hôtel に投ず。曾て橋本總監の寓せし所の家なり。

十日。商店に至る。午後三浦信意、田中正平と語る。井上巽軒繼いで至る。詩文を談ず。已にして俱に一酒店に至る。美少艾あり。巽軒と相識る。興を盡して歸る。

十一日。器械を點檢し畢る。書を公使舘に遺して歸る。公使は未だ府に還らず。大久保學而事を執る。午餐後バウエル骨喜店 Café Bauer に至り、日々新聞を讀む。客舍に歸れば、三浦信意來て余を待てり。北里柴三郞繼いで至る。共に學事を談ず。午後八時別を吿げ、車に上りてミユンヘン府に歸る。

十三日。府の戲園レツシング Lessing の作哲人ナタン Nathan der Weise を演す。余長松篤棐と往いて觀る。ポツサルト Possart のナタン Nathan に扮したるは、實に人の耳目を驚かすに足れり。

十四日。長松去る。送りて發車塲に至る。

十五日。原田直二郞其妾宅をランドヱエルストラアセ