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頰金髮なり。又一少女あり、西班牙語を善くす。其の許嫁婦にして、不日南米に航すといふ。此日家書到る。天山遺稿刻成るを聞く。亡友松田氏も亦た地下に瞑するなる可し。

三月一日。小池正直の書至る。

二日。夜代言人ヰルケの筵に赴く。情婦ベルタ Bertha, 軍醫ヰルケ座に在り。ベルタは行酒女の籍を脱し、今學校に入りて勉學す。

三日。日本語の敎授を終る。

四日。夜「カシノ」に至り、諸友に吿別す。

六日。夜地學協會の招に應じ、其年祭に赴く。此夜の式場演說は日本と云ふ題號にて、其演者はナウマン Edmund Naumann なり。此人久しく日本に在りて、旭日章を佩びて鄕に歸りしが、何故にか頗る不平の色あり。今三百人餘の男女の聽衆に對して、日本の地勢風俗政治技藝を說く。其間不穩の言少からず。例之ば曰く。諸君よ。日本の開明の域に進む狀あるを見て、日本人其開明の度歐洲人に劣れるを知り、自ら憤激して進取の氣象を呈はしたる者と思ひ玉ふな。是れ外人の爲に偪迫せられて、止むことを得ず、此狀を成せるなりと。又其結末に曰く。是にて先づ日本形勢の槪略を演じ畢れり。今一笑話を以て結局とせん。或る時日本人一隻の輪船を買ひ求めたり。新に航海の技を學べる日本人は、得意揚々之に上りて海外に航したり。數月の後、故鄕の岸に近づきしに、憐む可し、此機關士は機關を運轉することを知りて、之を歇止するを知らず。近海を逍遥して機關の自ら休む時を待てり。日本人の技藝多く此の如し。余は他日其弊を脱せんことを望むと。余はこれを聞きて平なること能はずと雖、是れ實に今夕の式場演說にして、人の論駁を容さず。余は懊惱を極めたり。ロオト余が色を見て我前に至りて曰く。君不平の色あり。何の故ぞや。余を以て觀れば、ナウマンの論は大に日本將來の開化を願ふ意あり。頗る妥當なる者の如しと。余以爲らく、ロオト日本開明の度を知らず、故にナウマンの言を以て宜きを得たりと爲す。ロオトの有識を以てして猶且此の如し。况んや他人をやと。余の不平は益〻加はり、飮啖皆味を覺えず。ナウマンは余と相對して坐す。ロオトナウマン