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學問も出來、金も多く持ち居るやうに見ゆると、駐劄諸官員の先例あると、又某伯の貧窶にして產ある洋人に嫁することの難きとに依るものなるべし。而して此撰に當りたる者は靑山胤通なりき。一日集會にて相識となり、同じく遊步し、同じく觀劇し、納采の日さへ遠からじと聞こえたりき。一夜靑山は此少女と共に博覽會園 Ausstellungspark に遊び、一薔薇花を買ひて贈り、暫く物語せし末、何か忘れしことありとて歸りたり。同學某々は少女と同じく此に留りしに、偶然此苑に來合はしたる一日本書生あり。名を榊俶といふ。身の丈け高く色白く、洋人に好かるゝ風采あり。故鄕一婦あるをも顧みずして、巧に媚を此少女に呈したり。少女は何とか思ひけん、靑山の贈りし花を把りて此男にぞ與へける。二三日の後、加藤照麿の許へ一封の書來りぬ。謂へらく。先の日苑內にて相見たる榊君に密に話したきことあり。動物園にて會したし。此旨を榊君に傳へ賜はれとのことなり。加藤は兼ねて靑山の自負を憎み居りし故、一策を運らし、靑山を訪ひて云ふ。某の日某の時動物園に來給へ、一奇劇を見せ申さんと。隈川宗雄此謀を洩れ聞き、哀れとや思ひけん、實を靑山に吿ぐ。靑山大に少女の誠なきを怒り、書を贈りて交を絕ちたり。榊とても既婚の人なれば、此少女の招に應ず可くもあらず。少女は前科を悔い、靑山に謝したれども、靑山應ぜず。少女平生の願は畫餅に歸したりとぞ。

二十八日。秋冷膚を侵し、細雨霏々たり。午後三時獨逸婦人會 Allgemeiner Deutscher Frauenverein 第十三總集に赴く。此會は千八百六十五年に創立せられたり。發起者をオツトオ、ペエテルス氏 Frau Louise Otto-Peters と名づく。フオオゲル氏の族なり。第十三總集は來責府クラアメル街 Kramerstrasse 第四號にて開く。時は九月二十七日より二十九日に至るといふ。然れども男子の傍聽は、此日と其翌午後とのみ許可す。會する者數百人。男子は僅に十人許なりき。演說婦人中カツセル Cassel 府の人カルム氏 Fraeulein Marie Calm の言最も衆を動かしたり。此會の志す所は主として救恤、看護に在りといふ。午後六時閉會。十時拜焉停車塲 Bayerischer Bahnhof に赴く。フオオゲル氏のプラウエン Plauen より歸るを迎ふるなり。フオオゲル氏は親族中洗兒の事ありしが爲めにプラウエンに往きぬといふ。

二十九日。午後三時ニイデルミユルレル氏 Frau Dr.