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京の寄せに似たり。演する所を伯林の陣中說法僧 Feldprediger von Berlin と爲す。名題の役をはメツチエル Metzer といふ俳優勤む。塲に上る婦人は皆無塩なり。觀畢る。既に十時三十分なり。余將に寢室に入らんとす。一人ありて曰く。君十字架會員 Kreuzbruder たることを欲せざるかと。余其何物なるを知らずして、戲に諾す。其人余を延いて一卓の傍に至る。卓の中央十字形を畫く。此周圍に一釘を下す者は會員たり。釘の位置に從ひ、鐵鎚󠄀一下十片より二十五片に至る。之を擊つこと拙きときは數十下にあらでは木に入らず。余四下にして一麻を與へたり。乃ち薄片鐵十字形の會員證を授けらる。千八百八十五年ネルハウの文字を刻す。會に法則あり。其一節に云く。凡そ新に會員となる者は。生涯の失錯三條を擧げて社員に示す可し。然れども巳に許嫁若くは結婚したる者は只二條を示して足ると。意結婚を以て失錯と爲すなり。其他戲謔多くこれに類す。盖し此の如くにして蓄ふる所の金は、以て貧民を救助するなり。而して斯會の卓は既に獨逸國に遍しと云ふ。十二時眠に就く。

二十九日。晴、午前七時十五分大隊と俱に徒步ネルハウを發し、九時ブリヨオゼン Broesen に達す。全旅團と會同す。中將フオン、ルウドルフ von Rudorff 及少將フオン、チエルリイニイ von Cerrini di Monte Varchi と相見る。チエルリイニイ余を認めて伊地知大尉と爲す。爲に一笑を發す。十時砲擊を始む。十一時演習畢る。十二時三十分旅舘に歸る。午後一時ワグネル Wagner と俱に午餐す。公使より書𨌺來る。余に示すに薩索尼陸軍卿の余が從軍を許可したる書を以てするなり。六時晚餐す。余が側に坐したる豫備軍大尉ヘルジヒ Helsig は、現に來責府大學の圖書を管理す。飯島魁と相識る。夜將校と骨牌戲を爲す。此日一士官に質すにニコライ Assessor Nikolai の事を以てす。ニコライフオオゲル氏食卓の客にして豫備少尉なり。此聯隊の第四中隊に屬す。余は演習中其旅舘を訪はんことを約せしなり。士官の曰く。軍隊來責府を發する日、ニコライは脚疾あるが爲に從行を辞したりと。又聞く、木越大尉は演習中鎖骨を挫き、歸休したりと。

三十日。晴、日曜日に丁る。演習なし。中佐フオン、ビユロウ von Buelow, 大佐ロイスマン Leusmann, 其他將校數十人と共に午餐す。午後ウユルツレルと同じくムルデ Mulde 河畔に逍遥す。後大尉メツソウ Messow と同