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三日。楠子來り訪ふ。

四日。龜井子爵の宴に赴く。子爵頃日大學に入る。亦健康なり。

八日。川上少將を訪ふ。少將病あり。蛋白尿を見る。ゲルハルト Gerhardt 一たび之を診し、石君谷口と之を療す。余を床前に延いて坐せしめ、語りて曰く。我邦の陸軍、從來司計の官を優遇し、司命の官を劣待す。是れ弊風なり。須く除去すべし。又其曾て西鄕に從ひて北海に赴きたる事を話す。南洲の風采を想ひ、慷慨す。深更に至りて辞し歸る。

九日。余高橋(繁)の爲めに送別の宴を催す。醫流皆至る。石君演說す。大意謂ふ。君の學成りて大阪に歸るを祝す。獨逸醫法を大阪に輸入せらるゝは喜ぶ可し。余は不敏な れども獨逸醫法を日本に輸入したる一人なり。謂ふらくは其次第を陳べて祝詞に代へん。日本東北戰の際、能く戰士を醫療するものなし。英國全權公使パアクス Parkes の周旋にてウウリス Uhlis を招聘す。ウウリス幣を辞して力を致す。是より英醫日本政府の信を得たり。未だ幾ならずして大學師を雇はんと欲す。相良と余とをしてフルベツク Ferbeck に議せしむ。フルベツクは蘭人なり。米國に遷る。時に日本に客たり。然れども性偏ならず。普魯士を擧ぐ。且曰く。獨逸の學日本に入らば、日本の民獨逸の政躰を見る機會を得べし。是れ大に王權に利あらんと。余等復命す。廟議之を容る。既にして政府ミユルレルホフマン Mueller, Hoffmann 二氏を聘す。又留學生を外邦に派す。池田、大澤等歐洲に遊ぶ。是れ獨逸醫法の日本に入れる始なり云々。

十日。夜石君と話す。

十一日。獨逸戲園 Deutsches Theater に至る。「ドン、カルロス」Don Carlos を觀る。ゲスネル Gessner の美、ポオザ Posa の技、最も嘉す可し。

十二日。アルツウル、ハイネ Arthur Heine 來る。貧書生なり。命じて文稿を淨書せしむ。午後石君と公使舘に至る。

十六日。北里、早川來る。