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三十日。シヤイベ來る。

十二月二日。石君、谷口とシヤイベヱルネルに誘はれ、伯林府消毒所及伯林第一系統下水排送所を見る。並にライヘンベルゲル街 Reichenbergerstrasse に在り。那威の軍醫某も亦來る。

三日。夜巽軒と會す。巽軒獨逸の詩人フロオレンツ Florenz を伴ひ來る。フロオレンツ名はカルヽ、アドルフ Karl Adolf 猶少年なり。余に詩稿を示す。中にウヽランド Uhland を詠ずる作あり。ハイネ Heine を客と爲し、彼を揚げ此を抑ふ。頗る誦す可し。曰ふ。將に譯東洋詩一卷を梓せんとす。譯する所は李太白と井上巽軒との詩なりと。余肚裏に謂へらく。西人の東詩を譯する、支那には毛詩に止り、日本には古今の春の部に止る。フロオレンツの擧洵に稱す可し。然れども李太白と巽軒とをして相對せしむるは、奇に過ぎたりと。フロオレンツ自ら曰く。梵文及漢字に通ずと。

六日。家書至る。朝北里來る。曰く。聞く福島頃ろ稍く某の姦を識り、人に武島を辱めしを悔ゆと。

九日。山口大佐、石井大尉の伯林に來り、皇太子客館 Kronprinzen-Hôtel に投ぜるを聽き、往いて訪ふ。

十日。西園寺全權公使來る。停車塲に迎ふ。土方、佐々木等とヨスチイ菓子店 Conditorei Josty (Potsdamer-platz) に會す。始て西鄕の子を見る。

十二日。陸軍省に赴く。石君の命を受け、シヤイベと器械購人の事を話するなり。早川の病を訪ふ。數日前鼻痔を截除せしが、未だ痊えず。夜福島を訪ふ。此日石君田口大學敎授とステツチン Stettin に赴く。

十四日。石君田口と俱にステツチンに至り。曾て東京に在りしシユルチエ Schultze を訪ふ。

十五日。書を大日本私立衞生會に寄す。石君等還る。

十八日。仙賀と哲學を談ず。