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を布けり。忽にして瀰望皆雪なり。葢蕎花なり。ウユルツレルの曰く。石油の用漸く廣くなりしより、菜花の黃なるを見ること稀なりと。路傍の細溝、水皆鐵を含む。メツケルン Meckern に至る前、褐色炭層を望む。又一村を過ぐ。林檎花盛に開く。櫻梨の如きは皆已に落ち盡せり。ムルデ Mulde 河を渡る。源をエルツゲビルゲ Erzgebirge に發すと云ふ。民屋は多く葺くに瓦を用ゐたり。藁を用ゐるものは稀なり。近ごろ令して藁屋は唯ゝ修復することを許し、新に營むことを許さずと云うふ。牧者の群羊を率ゐたるに遭ふ。圖畫中の物に似たり。オシヤツツ Oschatz を過ぐ。「ウラアネン」Ulanen 兵の營舍あり。灌木あり。箒の如し。その屢〻苅りて屢〻生ずるを以て、僻村の民薪材に充つと云ふ。葢し「スパチウス」Spatius の類なり。十時十五分リイザ Riesa に達す。十分間車を停む。是より易北河の鐵橋を渡る。麥圃の上に吿天子多し。マイセン Meissen の城を望む。一工塲あり。材木を集めて爹兒に浸し、電線柱及鐵道線に用ゐると云ふ。十一時半リヨスニツツ Loessnitz を過ぐ。地形漸く變じ、處々丘陵を望む。ウユルツレルの曰く。此間猶葡萄丘ありと。葢し葡萄の培養は、一年平均の大氣溫度九攝度以上ならでは、功を奏し難し。譬へば彼の細菌の發生必ず一定の溫度に待つことあるが如し。德停の大氣溫度は九、一度なれば、實に歐洲大陸中葡萄を培養す可き地の北界に當れり。已にして德停の騎砲輜重兵營を望む。十二時德停府に達す。行李を四季客舘 Hôtel zu den vier Jahreszeiten に安頓し、正服を着し、ロオト氏の官宅を訪ふ。一室に延かる。數個の机上圖書を堆積せるを見る。余等をして皐比を掩へる「ソフア」の上に坐せしむ。晤談半晌にして、余等を伴ひて陸軍卿フアブリイス Fabrice 伯の署に至り、面謁せしむ。卿名をゲオルグ、フリイドリヒ、アルフレツド Georg Friedrich Alfred といふ。普魯西と索遜との聯合をなすには、此の人與りて力ありき。今六十八歲にて、朱顏白髮、容貌魁偉なり。後司令長官ゲオルグ王 Prinz Georg, Herzog von Sachsen 及市司令官 Stadtcommandant 少將フインケ Finke の署に至り、到着簿に記名す。又將官シユウリヒ Schurich と相見る。客舘に晝餐し、ウユルツレルの姑の家を訪ふ。姑は五十許の婦人、性敏捷にして、善く談ず。ウユルツレルの婦妹、年十五六、秀眉紅頰の可憐兒なり。咖啡を供せらる。ウユルツレルは行李を此家に安頓す。畢りて此家を辞し、レンネ Lenne 街より左折し、街樾 Allee に入る。遙に百合石山 Lilienstein の天半に聳ゆるを望む。漸く進めば、