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△馬車人力 馬車は一頭挽の箱馬車が千葉驛前を出て本町通を寒川へ向ひ生實濱野を經て、市原郡の八幡迄行き、人力車は本年警察部からの命令に依つて、各區間の賃錢を公定せられた。

△逓信 千葉郵便局は本町一丁目に在り、毎月取扱ふ書狀は平均約十七萬、葉書は五十餘萬の多きに昇り、四十三年から開通した電話加入者は三百内外に達して居る。

△里程 千葉縣廳前元標から各地の里程は左の如くである

        里 町          里 町
 東京府  一〇、一四   茨城縣  三〇、〇六
 神奈川縣 一八、三八   松戸町   八、〇五
 佐倉町   四、二九   茂原町   八、〇四
 束金町   六、二二   佐原町  一六、〇五
 銚子町  二一、〇二   木更津町  九、二一
 大多喜町 一一、二一   北條町  二六、一三
 福岡町  一三、〇六   船橋町   四、二〇
 木下町   九、二八   佐貫町  一三、二七
 鴨川町  二三、一五   一の宮  一〇、二〇


樓ありしのゝめと云ふ、此市街中割烹家の巨學なり、(東京では小指位)就て食ふ、會席料理其の値廿五銭亦廉なる哉、漁史未だ本地の妓流が如何か歌舞を知らず故に試に一招せんと欲し樓婢に命ず、且つ問ふて曰く本縣の官員様は時々遊びに来るか、婢曰くどうして縣の官員方は料理も召上りに御出でなされませぬ、況て芸者衆坏を呼ぶは御法度同様てす、たまーにお出なさるは裁判所のお方計りですとー既にして歌妓来るー兩妓皆云妾は東京ツ子なりと、蓋し場末の脱走妓なるべし、本地の妓流幾名有りやと問へば、答へて云ふ往きに十餘名有りしが、今は減じて八人となれり(柳北-千葉土産の一節)