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り小刀を拔き、其腮に微傷を負はしむるや、倐ち丈餘の大蛇と化して斃れ、頭上に尺餘の創痕を有したりと云ふ、今富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり、されど後來、我れ家を興し、名を成さんには、其創殊に大なるものあらん。縱令微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらずと。白石の旣に少年の日に當り、苟も節を屈し、耻を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壞り、品性を害することを肯ぜざりしもの、實に士たるの本懷を吐露して違はざりしものと謂ふべし。

 孟子が『羞惡之心、義之端也』と敎へてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の辯をなして曰へり。『耻を知るは、諸德の原、良容、善行の根なり』と。