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るの放言となりたるの例を見ず。時としては又た實に血誓血判をなすことありしと雖、此行爲に關しては、讀者は予の說明を俟たずして、試みにゲーテの『フアウスト』に、血は異樣の液體なりと云ひ、血を以て誓ふを讀まば、即ち自から釋然として明かなるものあらん。

 近時米國一文士の說を爲すことあり。曰く普通の日本人に問ふに、虛言を吐くと、禮を失すると、孰か可なるやを以てせば彼は言下に答へて、『虛言を吐く』を可とすと云ふべしと。盖し此說の言責者たる、ピリー博士は是非相半ばせるものと云ふべし。啻に尋常一般の日本人のみならず、又た士人と雖、尙且つ此れと等しき答をなすなるべし。然りと雖、氏は虛言うそなる語を譯するの重きに過ぎ、『フオール