Page:Bunmeigenryusosho1.djvu/68

このページは校正済みです

もあしきもあるべけれども、それは姑らく申に及ず、かくも長命すれば今の如くに開る事を聞なりと、一たびは喜び一たびは驚きぬ、今此業を主張する人、是までの事を種々の聞傳へ、語り傳へを、誤り唱ふるも多しと見ゆれば、跡先ながら覺居たりし昔語をかくは書捨ぬ、

○かへすも翁は殊に喜ぶ、此道開けなぱ千百年の後々の醫家、眞術を得て生民救濟の洪益あるべしと、手足舞踏雀躍に堪へざる所なり、翁幸に天壽を長じて此學の開けかゝりし初より、自ら知りて今の斯く隆盛に至りしを見るは、これ我身に備りし幸なりとのみいふべからず、伏して考るに、實は恭く太平の餘化より出し所なり、世に篤好厚志の人ありとも、なんぞ戰亂干戈の間にしてこれを創建し、此盛擧に及ぶの暇あらんや、恐多くも今茲文化十二年乙亥は、ふたらの山の大御神、二百とせの御神忌にあたらせ給ふ、此大御神の、天下太平に一統し給ひし御恩澤、數ならぬ翁が輩まで加り被り奉り、くますみまで、神德の日の光照りそへ給ひし御德なりと、おそれみかしこみ仰ぎても猶あまりある御事なり、其卯月これを手錄して、玄澤大槻氏へ贈りぬ、翁次第に老疲れぬれば、此後かゝる長事記すべしとも覺ず、また世に在るの絕筆なりと知りて書きつゞけしなり、跡先きなる事はよきに訂正し繕寫しなば、我孫子等にも見せよかし、八十三齡九幸翁漫書す、


 明治二年己巳新刻

天眞樓藏版



蘭學事始下之卷