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書を自在に取扱ひ、日夜怠らず學び黽勉一かたならず、やゝもすれば夜を徹する事もあり、其精力の斯くなりしゆゑ、進める事も又速にして、其功昔日に倍せり、翁が喜びも亦知るべし、しかありけれども、其頃は年弱き時なれば、彼には專ら出精すれども、亦氣の移りやすき客氣盛の最中なれば、身持至て放蕩となり、しば異見をも加へたれども、愈々募りて已ざるにより、惜むべきの才子とは知りたれども、捨置は如何なる事をや仕出し、侯家の御名を汚すべき事もあるべしと、老が身の其心一日も易からず、已むことを得ず離緣して、永く交を絕たり、

○これによりて同社も交を通ぜず、彼も賴み少き身となりて、甚だ窮厄してありしに、去ながら其好む所の業は廢せざりしを、彼稻村なる者抔ひそかに見次せしよしなり、其際稻村等我男伯玄に內々謀りて、藏書中內科一二部の書を傭して、譯せしめなんどして、其窮を凌せしといふこと後に聞たり、遂には自新して志を改めたりと聞たり、亦其頃稻村が企しハルマ釋辭の書は、彼が加功して其業を助成せり、

○二三年過て後、宇田川玄隨病によりて物故せり、其嗣子なきを以て弘く養子を求めたり、こゝに於て稻村氏仲立ちして宇田川の家を繼せたり、前にいへる如く、玄隨へはしかの緣もあり、其なかりし後といへども、今亡父となりし人の志を繼ぎ、其身も志す所の本意を達せりといふべし、爾後益々專精して數多の譯說をも爲し、醫範提綱といふものを開板し、既に一家の事成りぬ、其行ひ改り其志立ちし上にて、宇田川姓も繼し事なれば、再び翁へも交通をゆるし給はれと、玄伯玄澤等が申にまかせ、然る上は長く惡み遠くべきにはあらずとて、出入を許し、故の如く相親み、玄眞翁に仕ること師父の如くなれば、翁も亦彼を見ること子の如くするの昔に復せり、

○玄澤は、先きに其名夙く成りて、近頃官府よりして、新に御藏和蘭の書翻譯の台命を蒙りしに至りぬ、昔し翁が輩の假初に企し學業なりしに、今翁が世にありて顯らかにかゝる嚴命を蒙り奉りしは、冥加にもありがたく、翁が宿世の願滿足せりといふべし、何卒生民廣濟の爲にと思ひ立ちて、取付きがたき此事に刻苦せし創業の功終に空しからず、續ひて玄眞も亦同樣の命を蒙り、相俱に此に從事する事となれり、仰