しめ、又彼の局方の書を讀しむ、日々往來し且つ寄食の事を乞ひけれども、其ころ家に支れる事ありて、暫く同社嶺春泰が許に託す、此頃春泰疾んで日々に篤し、終に物故せり、故に此後玄澤、甫周君へ謀りて同所へ託して曰く、此男蘭學執心にして、其依る所なきを憂ふ、爲にこれを取扱ひ給はらば、往々君の業を助くべきものなるをと說く、君直に諾してこれより同家に入塾することになりぬ、其際も玄澤がもとに往來して、譯法を問ふことしば〳〵なり、本と此男蘭說の實際に心醉していふ、吾他に望む所なし、隨意に此業の修行出來るの師塾ならば、何方へも寄宿なしたきといふ宿願なり、それゆゑ桂川家へ託せしことなり、然るに其ころ同家は官務と治業と繁多にして、彼が素志を達すること能はざるを、玄澤に訴ること繁々なり、一日玄澤翁に此事を語る、翁其ころは次第に專門の療術寸暇なく、素業を勤むべき暇とてはなき身となりたり、然れども翁は素より此道に志深かりければ、猶益々其道を開たきの志止がたく、解體新書成就の後も、彼へイステル外科書の譯文に手をかけ、金瘡瘡瘍の諸篇は、草を起して數卷の稿は出來たりしが、其頃度々の病に罹りしに、傍人も諌め、これは此業勤勉の崇りをなす所なれば、少間廢すべしといひ、尤も玄澤等もひたすら心志を放散し、偏に老を養ふべし、不肖といへども其業吾これに代るべしともいひ、且は次第に老行く年なれば、中々大業遂べき氣根もなく、其後は今に中絕したりけれども、其本志の已みがたく、數年の間見あたりし蘭書の分は、大部の物といへども、力の及べる程は費えを厭ず購ひ求め、相應には藏書も集りたり、此學を事とせんとするもの誰にあれ、其志はありても書籍に乏しき時は事成らずと思ひ、自ら讀には暇あらずとも、徃々子弟等はもとより、志ある人に借し與へて、此道開くるために稗益たるべしと思ひ、數十卷を藏したり、扨同じくは年若く此道に志篤き人を見出し、別に一女に妻し養子となし、此業を遂させ、我醫道の未だ開ずして未だ足らざる所を開きて之を補綴し、諸民の疾苦を廣濟なしたきものと、朝暮心にかけし折なれば、幸に玄眞あることを喜び、卽ちこれを招き其志を問しに、其云ふ處、玄澤が申せしに違はず、よりて翁が家に迎へ父子の契を結びたり、玄眞も其意を得て深く喜び、我家の藏
Page:Bunmeigenryusosho1.djvu/65
このページは校正済みです