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各相集り、會議して讀合ひしに、實に不味者は心とやらにて、凡そ一年餘も過しぬれば、譯語も漸く增し、讀に隨ひ自然と彼國の事態も了解する樣にて、後々は其章句の疎き所は、一日に十行も其餘も、格別の苦勞なく解し得るやうにもなりたり、尤春每參向の通詞どもへも聞糺せし事もあり、又其間には解屍の事もあり、又獸畜を解きて見合せし事も度々の事なりき、


蘭學事始上之卷


蘭學事始下之卷


○此會業怠らずして勤たりし中、次第に同臭の人も相加り寄りつどふ事なりしが、各志す所ありて一樣ならず、翁は一たび彼國解剖の書を得直に實驗し、東西千古の差ひある事を知り明らめ、治療の實用にも立て、世の醫家の業にも發明ある種にもなしたく、一日もはやく此一部を用立つ樣になし見度と、志を起せし事ゆゑ他に望む所もなく、一日會して解する處は、其夜翻譯して草稿を立て、それに付きては其譯述の仕かたを種々樣々に考へ直せし事、四年の間草稿は十二度迄認かへて、板下に渡すやうになり、遂に解體新書翻譯の業成就したり、抑江戶にて此學を創業して、腑分といひ古りしことを新に解體と譯名し、且社中にて誰いふとなく、蘭學といへる新名を首唱し、我東方闔州につぽんそうこくちゆう自然と通稱となるにも至れり、是れ今時のごとく隆盛となるべき最初嚆矢なり、今を以て考れば、是迄二百年來彼外科法は傳りしなれども、直に彼醫書を譯するといふ事は絕てなかりしが、此