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の圖には似るべくもあらざれば、誰も直に見ざる內は、心中にいかにやと思ひしことにてありき、

○これより各打連立て、骨ケ原の設け置し觀臟の塲へ至れり、扨腑分の事は、穢多の虎松といへるもの、此事に巧者のよしにて、兼て約し置しよし、此日も其者に刀を下さすべしと定めたるに、その日其者俄に病氣のよしにて、其祖父なりといふ老屠、齡九十歲なりと云る者代りとして出たり、健なる老者なりき、彼奴は若きより腑分けは度々手にかけ、數人を解たりと語りぬ、其日より前迄の腑分といへるは、穢多に任せ彼が某所をさして肺なりと敎へ、是は腎なりと切り分け示せり、夫を行き視し人々看過して歸り、我々は直に內景を見究めしなどいひしまでの事にてありしとなり、固より臟腑に其名の書記してあるものならねば、屠者の指し示すを視て落着せしことにて、其頃までのならひなるよしなり、其日の彼老屠が、彼れの此れのと指し示し、心肝膽胃の外に、其名なきものをさして名は知らねども、己れ若きより數人を手にかけ解き分けしに、何れの腹內を見ても、此處にかやうの物あり、かしこに此物ありと示し見せたり、圖によりて考ふれば、後に分明を得し動血脈の二幹、又小腎などにてありたり、老屠又曰、只今まで腑分の度々、其醫師がたに品々をさし示したれども、誰一人某は何此は何々なりと、疑れ候御方もなかりしといへり、良澤相俱に携へ行し和蘭圖に照し合せ見しに、一としていさゝか違ふ事なき品々なり、古來醫經に說たる所の肺の六葉、兩耳肝の左三葉、右四葉などいへる分ちもなく、腸胃の位置形狀も大に古說と異なり、官醫岡田養仙老、藤本立泉老などは、其ころまで七八度も腑分し給ひし由なれども、みな千古の說と違ひしゆゑ、每度々々惑疑して不審開けず、其度々に異狀と見しものを寫し置れ、つら思へば華夷人物違ありやなど、著述せられし書を見たる事もありしは、これが爲なるべし、扨其日の解剖事終り、とてもの事に骨骸の形をも見るべしと、刑塲に野ざらしになりし骨共を拾ひとりて、かず見しに、舊說とは相違にして、只和蘭圖に差へる所なきに、皆驚嘆せるのみなり、

其日の刑屍は、五十歲ばかりの老婦にて、大罪を抱きし者のよし、元と京都生れにて、あだ名を靑茶婆