第三十一 鳥、人に敎化をする事
或時、片山の邊にをいて、小鳥をさすこと有、是を殺さんとするに、かの鳥さゝへて申けるは、いかに御邊、われ程の小鳥をころさせ給へばとて、いか計のことか候べきや、助給はゞ三つのことを敎へ奉らんと云、さらばとて其命をたすく、彼鳥申けるは、第一には、有まじきことを有べしと思ふことなかれ、第二には、もとめがたきことをもとめたきと思ふことなかれ、第三には、さつて歸らざることをくやむことなかれ、此三つを能たもたば、誤あるべからずと云を聞て、此鳥をはなちぬ、其時鳥高き梢に飛びあがり、扨も御邊はおろか成人かな、我腹にならびなき玉をもてり、是を御邊とり給はゞ、よにならびなく榮へ給ふべきにと笑ければ、かの人千度後悔して、二度彼鳥をとらばやとねらふ程に、彼鳥申けるは、いかに御邊、御身にまされるつたなき人は候まじ、其故は、只今御邊にをしへけることをば、何とか聞給ふや、第一有まじき事を有べしと思ふことなかれとは、先我はらに玉有といへば、有べきことやいなや、第二にはもとめがたきことを、もとめ度と思ふことなかれとは、われを二度取事有べからず、第三には去つて歸らぬ事を、くやむことなかれとは、われを一度はなち、かなはぬ物故にねらふ事、去つて歸ぬをくやむにあらずやと、はづかしめにける、其如く、人常に此三つにまどへるもの也、
第三十二 鶴と狐との事
ある田地に、鶴ゑじきをもとめてゐたりしに、古老の狐かれを見て、たばからばやと思ひて、そばに近付て云、いかに鶴殿、御邊は何をか尋給へる、もしともしく侍らば、我宅所へ來らせよ、珍敷物あたへんと、いとむつまじくかたらひければ、鶴えたりやかしこしと