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かる有難き心ざしは、只ごとに非、我愚成ものゝ身として、努々是を知ずといましめ侍る也、御邊はなげき給ふことなかれ、これ程の心ざしを持たらんは、たとひ畜類也と云とも、必ず極樂へ生れんこと、聊うたがひ給ふことあらじ、我もろともに、かの跡をねんごろに弔べしとて、此ゑのこの心ざしを、奇特也とて尊れける、其如く、慾にふける物は、かの出家に不異、人有て音物をさゝげければ、寶に目をくらまして、理を非に曲る事多し、かるが故に慾深ければ、戒を破り罪を作り、身を亡す物也とぞ見えける、これを思へ、

第三十 人の心さだまらぬと云事

或おきな、市に出て馬をうらんと思ひ、親子つれてぞ出たりける、馬を先に立、親子跡に苦しげにあゆむほどに、道行人これを見て、あなおかしの翁のしわざや、馬を持つは乘んが爲也、馬を先に立て、ぬしはあとにあゆむことは、餓鬼の目に水の見えぬと云も、此ことやと云て通りければ、おきな實もとやおもひけん、若者なれば草臥やするとて、我子をのせて、われは跡にぞ付にける、また人是をみて、是なる人を見れば、盛成者は馬にのりて、おきなはかちにて行とて笑ければ、また子をおろしておきなのりぬ、また申けるは、是なる人を見れば、父子と見えけるが、あと成子は以外草臥たる有樣也、かゝるたくましき馬に乘ながら、親子ひとつにのりもせで、くたびれけるおかしさよと云ければ、實もとて我子を尻馬にのせけり、かくて行程に、馬やうやくくたびれければ、また人の申けるは、これなる馬を見れば、ふたり乘けるによつてことのほかくたびれたり、のりてゆかんよりは、四つあしをひとつにゆひあつめ、二人して荷てこそよかんめれと云ければ、寶もと思ひ親子して荷、また人の申けるは、重き馬になふよりは、かわをはいで、かると持てうれかしといへば、實もとてかわをはがせて、かたにかけて行程に、道すがら蠅共取つきて目口もあかず、市の人々これを笑ければ、おきな腹立て、かわを捨てぞ歸りける、其如く、一度かなたこなたとうつるものは、おきながしわざに不異、心輕き者は、常にしづか成ことなしと見えたり、輕々敷人の事を信じて、みだりに移ことなかれ、但よき道には、幾度もうつりて誤なし、事每によければとて、うろんに見ゆることなかれ、たしかにつゝしめ、