Page:Bunmeigenryusosho1.djvu/169

このページは校正済みです

狐速にゑじきになしぬ、其時かの鳩をどろきて、木の上にすをかけゝり、然るを隣りのはと敎へけるは、扨も御邊はつたなき人也、今より以後、狐左樣に申さば、汝此所へあがれ、あがる事かなはずば、全我子をはたすべからずとのたまへといへば、實もとて云ければ、きつね申けるは、いまよりして御邊の上に、さはがすること有まじ、但賴申べき事有、其いけんをばいづれの人よりうけさせ給ふぞと申ければ、鳩つたなふして、しかの鳥とこたふ、ある時かの鳩に敎ける鳥、下に下りてゑじきをはみける所に、狐近付て云、抑御邊世にならびなきめで度鳥也、尋申度こと有、其故はねぐらにやどり給ふ前後、左右よりはげしき風吹時は、いづくに面をかくさせ給ふやと申ければ、鳥こたへて云、左より風ふく時は、右のつばさにかへりをさし、右より風吹時は、左のつばさにかへりをさし候、前より風吹時は、後にかへりをさし候、後より風吹時は、前にかへりをさし候と申、狐申けるは、天晴其事自由にし給ふにおゐては、誠に鳥の中の王たるべし、但虛言やと申ければ、彼鳥、さらばしわざを見せんとて、左右にくびをめぐらし、うしろをきつと見るとき、狐走りかゝりてくらひ殺しぬ、其如く、日々人に敎化をなす程にならば、先我身を修めよ、我身のことをばさしおきて人に敎化けうげをせんことは、努々有べからず、

第二十九 出家とゑのこの事

或人、犬子ゑのこ一疋なつけそだて、是を愛しけるが、年頃有て何とかしたりけん、彼ゑのこ俄に死すること有けり、主是をかなしみて心に思樣、かゝるいとけなきゑのこの死骸を、山野に捨んよりは、とてものことに、寺のかたはらに埋ばやと思ひて、日暮にのぞんで、人に忍びてこれを取りて、堂の邊に埋めける、やゝ有て彼寺の僧是を傳聞て、こは何ものゝしわざぞや、かゝるらうぜき前代未聞ためしなしと云、かのぬしをよび、すでにあやしくいましめられ侍りける、主更に返答に及ばず、赤面してゐたりしが、逃るべきかたなくて、此出家の重欲心をさとつて申けるは、御邊の仰らるゝ處、尤道理至極也、然共御存なきにや侍らん、此ゑのこの臨終さも有難、いみじき志有、それをいかにと申に、後世をとぶらはれん其ために、持たる百貫の龍足りやうそくを、貴僧に奉るべしと云置侍ると有ければ、僧是を聞て、思ひの外にいさむけしきにて云樣、扨も、か