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伊曾保物語下

第一 蟻と蟬との事

さる程に、春過夏たけ、秋もふかくて、冬のころにも成しかば、日のうら成時、蟻あなよりはい出、餌食を干などす、蟬來て蟻に申は、あないみじのあり殿や、かゝる冬ざれ迄、さやうに豐に餌食をもたせ給ふ物かな、われに少の餌食をたび給へと申ければ、あり答云、御邊は春秋のいとなみには、何事をかし給ひけるぞといへば、蟬答云、夏秋身のいとなみとては、梢にうたふばかりなり、其音曲に取みだし、ひまなきまゝにくらし候といへば、あり申けるは、今とてもなどうたひ給はぬぞ、うたひ長じては、終に舞とこそ承れ、いやしき餌食を求て、何にかはし給ふべきとて、あなに入ぬ、其ごとく、人の世にあることも、我ちからにおよばん程は、たしかに世の事をもいとなむべし、ゆたかなる時、つゞまやかにせざる人は、まづしうして後に悔るなり、さかんなるとき學せざれば、老てのちくゆるもの也、醉のうちみだれぬれば、さめてのちくゆる物也、

第二 狼と猪の事

さるほどに、猪子共あまたなみ居ける中に、殊にちいさき猪、我慢おこして、ぞうのつかさになるべしと思ひて、はをくひしばり目をいからし、尾をふつて飛めぐれ共、傍輩等一向これを不用、彼猪きをくだひて、所詮かやうのやつばらにくみせんよりは、他人に敬はればやと思て、羊共の並居たる中に行て、前の如く振舞ければ、羊勢におそれてにげ去ぬ、扨こそ此猪本座を達して居ける所に、狼一疋はせ來りけり、あはやとはおもへ共、我はこれぬしなれば、彼も定て恐なんとて、さらぬ體にて居ける處を、狼飛掛、耳をくはへて山中に至ぬ、羊もつて合力がふりよくせず、おめきさけび行ほどに、彼猪の傍輩此聲を聞付て、終に取籠たすけゝり、其時こそ無益むやくのむほんしつる物かなと、本の猪等にこうさんしける、其ごとく、人の世に有ことも、よしなき慢氣を起て、したがへたくおもはゞ、かへつてわざはひをまねく物也、終には本のしたしみならでは、實のたすけにはならぬ物也、

第三 狐と鷄との事