りと思ひぬる處に、心より人のこゑほのかに聞えける、其外犬のこゑもしけり、これに依て彼鹿山中ににげ入、餘にあはてさはぐ程に、ある木のまたに己がつのを引かけて、下へぶらりとさがりけり、ぬかん〳〵とすれ共よしなし、鹿心におもふ樣、よしなき只今の我心や、いみじくほこりける角は、我あだに成て、うとんずる四つのえだこそ我助なる物をと、獨ごとしておもひたへぬ、其ごとく、人も是にかはらず、師傅けるものはあだと成て、うとんじ退けぬるものは、わがたすけと成ものをと、後悔する事これあるものなりとぞ、
第三十五 鷄と狐との事
有時、きつね餌食をもとめかねて、こゝかしこをさまよふ處に、鷄に行あひたり、えたりやかしこしと、是を取てくらはんとす、鷄此事を覺て、ある木の枝にとびあがりぬ、狐手をうしなふてせんかたなさに、所詮たぶらかしてこそ喰めと思ひて、彼木の本に立よりて、いかに鷄聞召せ、此比萬の鳥けだものゝ中なをりする事有、御邊は知給はぬか、久敷申承はらぬによつて、態是迄參りて候と、いとむつましげに語ければ、鷄狐の武略をさとつて、誠かゝる折節に生れあひぬる事こそめでたう候へ、能あひたり、犬能樣にはからひ給ふべしといひて更におりず、狐重ねて申けるは、先此所へおりさせ給へ、ひそかに申べき事有と、頻によべども終におりず、鷄用有さうに、あなたのかたをながめければ、狐下よりみあげて、御邊は何事を見給ふぞと申ければ、されば只今御邊の物語し給ふ事を、吿しらせんとやおもひけん、犬二疋はせ來られ候と申ければ、きつねあはてさはひで、さらば先某は御いとま申とて去んとす、鷄申けるは、いかに狐、鳥けだもの中なをりしけるに、其折節何事かは候べき、そこに待て犬とまじはり候へとさゝへければ、狐かさねて申やう、もし彼犬中なをる事知らずば、我ためにあしかりなんとて逃去ぬ、其如く、たとひ人にあだをなすべき者と覺共、あだを以て不㆑可㆑向、武略にてむかはゞ、我も武略をもつてしりぞくべし、
第三十六 腹と五體の事
あるとき、五體六根をさきとして、腹をそねんで申けるは、我等めん〳〵は、幼少の時よりも其いとなみをなすどいへ共、件の腹と云ものは、若うより終になす