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に兵を發す、壬辰年、〈本朝正德二年なり、〉此年の春、アンゲルア、ヲヽランド人、トルコ、ムスコービヤに說て、相たいらがしむ、四月、ヲヽランド人、ゼルマアニヤ人と共に、イスパニヤ、フランスヤ人と戰ふ、その軍、をの十萬人、敵を斬る事凡一萬餘、ヲヽランド、ゼルマアニヤ人の戰死するもの、九千五百七十人、をの軍を引て去る、七月、ヲヽランド人、フランスヤの地、クイノを攻取りつゐにマルセネの地に入りて戰ふ、敵よく拒戰ひ、勝ことを得ず、軍を引て還る、かくて、此年以來、ゼルマアニヤ、フランスヤのうらみによりて、輿國をの其兵につかれ、兩國に說きて、相たいらがしめむとす、兩國言ありて相したがはず、癸巳年〈本朝正德三年の事なり〉九月、兩國つゐに相平ぎ、をのの侵せし所の地、虜にせし所の人を還す、

按ずるに、ゼルマアニヤ、フランスヤの戰始りし事は、本朝元祿十三年庚辰に當れり、兵連なる事十四年にして、事たいらぐ、此年、本朝正德三年癸巳也

君美

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