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ホタラーニヤ、(〈和蘭呼爲ボウル。〉〈漢に波多里亞ホウトヲリヤア、また波多禮亞と譯す、〉ゼルマアニヤの東ポローニヤの北にあり、

ポローニヤ、〈漢に譯して、波羅泥亞ポウロニイヤアといふ、〉ゼルマアニヤの東にあり、

サクソーニヤ、沙瑣泥亞サアソニイヤア、また沙所サアソ泥亞と譯す、〉ゼルマ二ヤに相近しといふ、其ある所をいまだ詳にせず、

モスコービヤ、〈ムスコービヤともいふ、漢に沒厠箇未突モツツコウイヤウと譯す、〉ヱウロパ東北の地にあり、其地極めて寒し、冬時氷厚きこと丈におよぶ、人馬共に其上を往來すといふ、

スウエイチヤ、〈スエシアとも、スウエツヤともいふ、ヲヽランドの語には、スウエイデともスペイデともいふ、漢に蘇亦齋スウエツイと譯す、〉ヱウロパ北地にありて、ノールエウエギヤの地に相聯る、〈ノールウエギヤは、エウロパの極北、氷海にのぞめる地也、ノールイギとも、ノーレイギともいふ、漢に譯して、諾爾祁亞ノルキイヤアといふ、卽此也○西人の說に、スウエイチヤの王妃、ローマンに來て、天主を拜せしを見たりき、その輿從最盛なりしといふ、さらば、此國も彼敎を尊信する所と見ゆ、〉

ヲヽランデヤ、〈ヲヽランドともいふ、漢に喎蘭地ヲヽランデと譯す、大明の書に、和蘭ヲヽラン、また紅夷ホンイとも、紅毛鬼ホンマウクイともいふ、と見えしものあれども、紅夷國は、安南西北にあり、其人、衣を制らずして、綿布を身に纏い、紅絹を頭に纏う、其形、回回ウイウイに似たり、國に鹽なければ、安南多く鹽をもて、其珍寶に貿うと、三才圖繪にはしるせり、紅夷、此國の人をいふべしとも見ゑず、〉ゼルマニヤの西北にあり、初ゼルマアニヤ人、海上の小島に至て漁獵し、つゐに土地を開きて、國を建る事七州、イスパニヤに屬す、其後、イスパニヤの徭役、苛酷なるに堪ずして、其國と絕つ、其國つゐに兵を擧てうつ、隣國をの相援けて、戰う事八十餘年、ヲヽランド、つゐにイスパニヤの十州を侵し奪ふ、諸國もまた兵に疲れて、兩國を和す、ヲヽランド、其侵せし地を還して平ぐ、其人、水戰を善して、これに敵するものなし、其陸戰のごときは、水戰に及ばず、しかれども、アフリカ、アジヤ數州の地を侵し取りて、國すでに富み、兵亦强く、今に至ては、エウロパ一方の强國也、其七州といふは、ヲヽブルイツスル、フリイスランド、ヲルランド、セーランド、グルーニンゲ、ゲルトルランド、ウイトラキト、其侵取りし海外の地は、カアプトボネスベイ、ゴドロール、マロカ、バタアビヤ、ノーワヲヽランデヤ、ゼイラン等、これなりといふ、〈西人の此國の事を說きし所、猶下に見ゆ、但しヲヽランド人の說とは、異同あり、此國の事は、別にしるせしものあれば、ここには略しぬ、〉

按ずるに、此國始て此に通ぜしは、慶長五年の事也、エウロパ地方の國、むかしより、其貢聘の絕ざる