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出來しをともなひて、〈字は五次右衞門、喜兵衞といふ者ども、〉松下にゆきて見るに、彼人戀泊のかたをユビさして、かしこにゆかむといふさましたり、足つかれぬとみしかば、一人それをたすけ、一人は其刀をもち、一人はそれが携へし袋やうの物をもちて、戀泊の者の家にゐて行て、物したゝめてくはす、かの人、また黃金のまろき二つと、方なる一つと、を取出て、あるじにあたふ、〈藤兵衞なり〉辭してとらず、その物いひ、きゝわきまふべからざれども、其形は我國の人也、〈さかやき、こゝの人のごとくにして、身には、木綿の淺黃色なるを、碁盤のすじのごとくに染なしたるに、四目結の紋あるに、茶色のうらつけたるを着て、刀の長さ二尺四寸餘なるを、我國の飾のごとくにしたる一腰をさしたるなり、〉此事、島を守れるものゝ許に聞えしかば、宮之浦ミヤノウラといふ所に、かのもの置くべき所作り出して、うつし置て、薩摩守の許につぐ、薩州の家人等、連署して、其事を長崎の奉行所に吿ぐ、〈其書に、九月十三日としるす、彼家人等、島津大藏、同將監、新納市正、種子島藏人、連署す、長崎の奉行は、永井讃岐守別所播磨守也〉彼人、長崎に送り致すべき由をいひ送れり、其後、又薩州より彼ものゝマル作りていひしことばなどの事を、長崎にいひ送れり、〈前に見えしローマン、ロクソンなどの事也〉阿蘭陀の人を始て、長崎にありあふ外國の人共、奉行所に召集て、かれがいひし事ども尋問ふに、各、其事サトすべからずとこたふ、かくて、冬も末に至りぬれば、北風吹つゞき、海の上波あらければ、彼ものを送致する船、二たびまで風に吹もどされぬ、これをむかふる薩州のもの、つとめて風波ををし凌ぎ、からうじて大隅の國に至り、それより又長崎に送り致す、かのもの、ひたすら江戶におもむかん事をこふて、長崎にゆかむ事をねがはざりし氣色しけれど、其望に任すべきにあらず、多くの挽船共して、長崎の地方網場アミバといふ所に至りぬ、こゝより船をとゞめ、陸よりして、長崎にむかへ入れて、獄舍に置く、阿蘭陀の通事共して、彼來れる由をとふに、地名などは、聞も及びしあれど、其餘の事ども、きゝわくべからずといふ、阿蘭陀人をばことににくみおもふ由なれば、其人して問はむ事もしかるべからず、障子を隔てゝ阿蘭陀人して、そのいふ事を聞しむるに、これも聞しらぬ多く、ましてそのいふ所、半ば我國のことばもまじはりぬと聞えて、猶々聞わかつ事かなはず、彼人も、いかにもして、思ふ事共いひあらはしてむ、とおもふ氣色なりしかば、たづぬべき事共、こゝにありあふ阿蘭陀人してとふべしといひしに、さも侍らむと答へしによりて、阿蘭陀人のうちにて、むかし彼地方のこと