Page:Akemi-no uta.pdf/5

このページは検証済みです

示人ひとにしめす(録一)

天皇すめらぎは神にしますぞ天皇のちょくとしいはばかしこみまつれ

 極めて安心に極めて平和なる曙覧も一たび国体の上に想い到る時は満腔まんこうの熱血をそそぎて敬神の歌を作り不平の吟をなす。慷慨こうがい淋漓りんり、筆、剣のごとし。また平日の貧曙覧に非ず。彼がわずかに王政維新の盛典にうを得たるはいかばかりうれしかりけむ。

慶応四年春、浪華に
行幸あるにわが
宰相君さいしょうのきみ御供おんともたまへる御ともつこうまつりに、上月景光主こうづきかげみつぬしのめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに

天皇のさきつかへてたづがねののどかにすらん難波津にゆけ

すめらぎのまれ行幸いでまし御供みともする君のさきはひ我もよろこぶ

天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひひとどもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる

隠士も市の大路に匍匐はらばいならびをろがみまつる雲の上人

天皇の大御使おおみつかいと聞くからにはるかにをがむ膝をり伏せて

 勅使をさえかしこがりて匍匐はらばいおろがむ彼をして、一たび二重橋下に鳳輦ほうれんを拝するを得せしめざりしは返すがえすも遺憾いかんのことなり。

都にのぼりて
大行たいこう天皇の御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺せんにゅうじもうでたりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるをかしこけれどうれはしく思ひまつりて

ゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車おおみくるまのうしや世の中

 曙覧は王政維新の名を聞きて、その実を見るに及ばざりしなり。

〔『日本』 明治二十二年三月二十四日〕


 社会の一貧民としての曙覧、日本国民の一人としての曙覧は、臆測ながらにほぼこれを尽せり。ここより歌人としての曙覧につきて少しく評するところあらんとす。

 曙覧の歌は比較的に何集の歌に最も似たりやと問わば、我れも人も一斉に『万葉』に似たりと答えん。彼が『古今』、『新古今』を学ばずして『万葉』を学びたる卓見はわが第一に賞揚せんとするところなり。彼が「万葉』を学んで比較的くこれを模し得たる伎倆ぎりょうはわが第二に賞揚せんとするところなり。そもそも歌の腐敗は『古今集』に始まり足利時代に至ってその極点に達したるを、真淵まぶちら一派古学をひらき『万葉』を解きようやく一縷いちるの生命をつなぎ得たり。されど真淵一派は『万葉』を解きて『万葉』を解かず、口には『万葉』をたたえながらおのが歌は『古今』以下の俗調を学ぶがごときトンチンカンを演出してわらいを後世にのこしたるのみ。『万葉』がはるかに他集にぬきんでたるは論