しかるにこの歌の上半は趣向も混雑しかつ「せばめて」などいう曲折せる語もあり、かたがたもって「ほほづきの色」という結句を弱からしむ。
よそありきしつつ帰ればさびしげになりてひをけのすわりをる
句法のたるみたる様、西行の歌に似たり。「さびしげになりて」という続きも拙く「すわりをるかな」のたるみたるは論なし。「なりて」の語をやめて代りに「
かつふれて
この歌は滝の
妹が手にかはる
上三句重く下二句軽く、
広き水真砂のつらに見る庭のながめを
前の歌と同じ調子、同じ非難なり。
〔『日本』 明治三十二年四月二十二日〕
酔人の水にうちいるる石つぶてかひなきわざに
これも上三句重く下二句軽し。曙覧の歌は多くこの
秋の香をひろげたてつる松のかさいただきまつるもろ手ささげて
これも前の歌と同じく下二句軽くして結び得ず。
これも頭重脚軽なり。この歌にては「背に負はれ」というが主眼なれば、この主眼を結句に置かざれば据わらざるべし。
ふくろふの糊すりおけと呼ぶ声に
こぼれ糸
この歌はいずれも趣向の複雑したる歌なれば結句に
曙覧の歌調を概論すれば第二句重く第四句軽く、結句は力弱くして全首を結ぶに足らざるもの最も多きに居る。『万葉』にこの頭重脚軽の病なきはもちろん、『古今』にもまたなし。徳川氏の末ようやく複雑なる趣向を取るに至りて多くは皆この病を免れず。曙覧また同じ。曙覧はほとんど歌調を解せず。歌調を解せざるがために彼はついに歌人たるを得ずして終れり。