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曙覧の歌


 余の初め歌を論ずる、ある人余に勧めて俊頼としより集、文雄ふみお集、曙覧あけみ集を見よという。それかくいうは三家の集が尋常歌集に異なるところあるをもってなり。まずみなもとの俊頼の『散木弃歌集さんぼくきかしゅう』を見て失望す。いくらかの珍しき語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。次に井上文雄の『調鶴ちょうかく集』を見てまた失望す。これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後にたちばなの曙覧の『志濃夫廼舎しのぶのや歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套ちんとうちず真淵まぶち影樹かげき窠臼かきゅうに陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事さじ俗事を捕えきたりて縦横に馳駆ちくするところ、かえって高雅蒼老そうろうの俗気を帯びず。ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆きょうおくくもの、もって識見高邁こうまい、凡俗に超越するところあるを見るに足る。しこうして世人は俊頼と文雄を知りて、曙覧の名だにこれを知らざるなり。

 曙覧の事蹟及び性行に関してはいまだこれを聞くを得ず。歌集にあるところをもってこれを推すに、福井辺の人、広く古学を修め、つとに勤王の志を抱く。松平春岳まつだいらしゅんがく挙げて和歌の師とす、推奨もっともつとむ。しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋ろうおくの中に住んで世とれず。古書堆裏こしょたいりひとり破几はきりていにしえかんがえ道をたのしむ。詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中の不平は他に漏らすのかたなく、凝りて三十一字となりて現れしものなるべく、その歌が塵気じんきを脱して世にびざるはこれがためなり。彼自ら詠じていわ

わが歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声する夜の窓

灯火ともしびのもとに夜な夜な来たれ鬼わがひめ歌の限りきかせむ

人臭き人にきかする歌ならず鬼の夜ふけてばつげもせむ

凡人ただひとの耳にはいらじ天地あめつちのこころを妙にらすわがうた

 何らの不平ぞ。何らの気焰きえんぞ。彼はこの歌に題して「戯れに」といいしといえども「戯れ」の戯れにあらざるはこれを読む者誰かこれを知らざらん。しかるをなお強いて「戯れに」と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛ばんこく涕涙ているいたたうるを見るなり。ああこの不遇の人、不遇の歌。

 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記じき」の文につまびらかなり。その文に曰く

    橘曙覧の家にいたる詞

おのれにまさりて物しれる人は高きいやしきを選ばず常にあい見て事尋ねとひ、あるは物語をきかまほしくおもふを、けふはこの頃にはめづらしく日影あたたかに久堅ひさかたの空晴渡りてのどかなれば、山川野辺のけしきこよなかるべしとつづみうつ頃より野遊のあそびに出たりき、三橋といふ所にいたる、