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供は私の傍にゐると云ふだけで、見知らぬ国の、ほかに人影のない池の畔で、次第に迫つてくる夕闇のなかに何の不安もなく白い花を摘んでゐる。之が私の子として生れて来た小さい生命の生涯の姿なのではあるまいか。やがてどんなにか厳しい人生の孤独をさまよはねばならない運命なのであらう。未知の土地の池の畔で病める父と共に草の花を摘んでゐたこの夕べを、物心ついて後この子はどんな心で思ひかへすことであらう。幾日かの後別れ去れば、また会ふ日もはかられぬ父と子の縁のせめてものかたみに、この夕べの記憶なりとも残してをきたいひたぶるな思ひに、慌しく子の名を呼び、訝しく見上げる子を抱き上げ、ともすれば萍の中から誘ひかける水魔の眼を遁れるやうに、私は一散に堤の道を走つた。

 大和境の山々に葡萄の紫が玉を綴る頃、妻と子は故郷の町へ帰つて往つた。――その後再び相見る日もなくて私は盲ひて了まつたのだが。


「なに、ぢき快くなりませう」医師の言葉に暗い望みをかけて日ごと黄色い油剤を射つてゐたが、アカシヤの花が散り、紀の川の鮎が孕み、またアカシヤの花が散り、やがて高野の奥峰に雪が光る頃になつても何の験もなかつた。三度アカシヤの花が咲き、巡礼の鐸の音が賑ひ始める頃、私は新しい薬をもとめて、瀬戸の内海に臨む療院へ遷つて行つた。