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会いたる回数も相当多き為何時如何なる話を為したるや一々記憶せざれども、永き間に自分の永田に対する認識即永田は我々の国家改造の理想実現を阻害する一人なりと云う事を断片的に話したかと思う、七月中旬頃に相沢中佐は自分方へ参り一泊したることあり、其の夜大蔵が来る様に記憶す、当夜教育総監更迭のありたる直後なりしを以て其れに付ての話も出た様にも思う、尚相沢中佐より永田局長を訪ね行つたとか云う事を聞きたる旨の記載、

一 被告人の当公廷に於ける八月十一日夜西田税方に於て愈々永田局長殺害の最後の決心を致し、翌十二日午前九時過頃西田方を立出で同九時半頃陸軍省に参り不図ふと自分が士官学校に在勤当時生徒隊長たりし整備局長山岡中将に面会する考を起し、同局長室に到り山岡中将に挨拶を申し述べ対談中給仕に命じて永田局長の在否を確めたるに、局長室に居ると云う返事を申し参りたれば午前九時四十五分頃軍務局長室に到り、扉の開いて居る入口より室内に這入りたるところ永田局長は入口の方に面して中央の事務用机の前に腰を掛け居り、其の机を隔て来訪中の軍人が確か二名腰掛け居ったと思う、或は一名であったかも知れぬ、室内に這入ると直に自分所有の軍刀を抜き、無言の儘、急いで永田局長の左側に迫り、之に気付きたる同局長が右方に避け、来訪中の軍人の所に遁れ、其の軍人と一緒になりたる際、同局長の背部に第一刀を加え斬付けたるに同局長は隣室に通ずる扉の処に遁れ、自分は其の扉の処で同局長の背後より突刺し、其の時刀は局長の背後より前の方に突抜け其の切先きが扉に刺さりたる如き気がしたり、次で刀を引抜きたるに同局長は円机の側に走り行き倒れたれば此の時こそ一刀両断と云う積りにて頭部に一刀を加えたり、

自分が永田局長を斬る際同所に居合せたる来客の軍人は東京憲兵隊長新見大佐にして自分の為に負傷したることを後に知りたるが当時同大佐なることを知らず、自分は先きに述べたる如く永田局長が来訪中の軍人の所に遁れ其の軍人と一緒になったとき同局長の背部に一刀を加え斬付けたるものなれば、其の一刀に依り永田局長を斬り次で其の来客の軍人新見大佐の左腕を斬ったものと認むる旨の供述、

一 被告人に対する予審第六回訊問調書中同人の供述として、自分は局長室に這入て行きたる当時は永田局長を一刀両断の下に殺害し得るものと思い居り彼の様に同同長を追詰める様な場面を生ずるとは思い居らざりし為、他の人に危害を加える事になると云う事は当時思わざりしが、今より考うると若し自分の目的を邪魔する者あれば当然その者を斬っても目的を達する事に努めたと思う故、当時同室の一軍人が自分を抑止した事が事実なれば自分は其の邪魔を除く為に斬払ったものと思う、八月十二日麴町憲兵分隊に於て分隊長より新見大佐が負傷し居ると云う事を聞き自分が斬ったものと思いたる皆の記載、

一 証人新見英夫に対する予審第一回訊問調書中同人の供述として、自分は昭和十年八月十二日永田軍務局長に報告の為陸軍省に到り同局長室に行きたるは午前九時過頃と思う、自分は報告準備等を為し居りたる際歩兵の襟章を付けたる軍服の一軍人が抜刀を大上段に構え局長と腰掛の処にて向い合い、局長は確か手を挙げ防ぐ形を為し居るを見、其の犯人を取押えんと机の左側迄行きたるとき局長は自分の方に危難を避け来り、犯人も局長の後より迫り来りたれば自分は犯人の腰部に抱き付き局長を背後より斬らんとするを抑止したるに振払われて倒れ、更に起上つて犯人を追わんとしたるも其の際左手を切られ居ることを知り追跡出来ざりき、尚自分は犯人より振払われるや犯人が局長を軍事課長室に通ずるドアの処に追詰めたるを見たるが、其の後の状況に付ては記憶なき旨の記載、

一 同証人に対する予審第二回訊問調書中同人の供述として、自分が起上らんとする際左腕に痛みを感じ犯人に斬られたることを知りたり、犯人の相沢三郎なることを知りたるは負傷の翌日なりしと思う旨の記載、

一 証人出月三郎に対する予審訊問調書中同人の供述として、自分は昭和十年八月十二日東京憲兵隊長新見英夫大佐の左腕の負傷を診察したるが、きずの状況より見て腕の上部より下部に向け鋭利なる刃物で斬付けたものと思う、非常に鋭利に斬れ居る故他傷と判定す、尚用器は非常に鋭利なる物例えば日本刀の如きものと判断す、新見大佐が抜刀を持って居た加害者の左背後より同人の腰部に抱付いた際加害者より振払わ