又(また)沙流(さる)を中心(ちうしん)として、古老(こらう)の土人間(どじんかん)に左(さ)の如(ごと)き說(せつ)あり。卽(すなは)ち『昔時(せきじ)義經(よしつね)は平取(ひらとり)部落(ぶらく)に來(きた)り、アイヌ人種(じんしゆ)の寶(たから)とし、命(いのち)としたる書物(かきもの)を盜(ぬす)み去(さ)りし爲(た)め爾來(じらい)土人(どじん)に文字(もじ)無(な)きに至(いた)りたり』と。されど文字(もじ)なるものは書籍(しよせき)を失(うしな)ひしために、頭腦(づなう)より全(まつた)く取(と)り去(さ)らるゝものにあらず、故(ゆゑ)に此(こ)の傳說(でんせつ)は根據(こんきよ)の無(な)きものたるを疑(うたが)はず。
只(たゞ)アイヌが、昔(むかし)より、相互間(さうごかん)に於(お)ける簡單(かんたん)なる通信(つうしん)、若(もし)くは、山川(さんせん)を記(し)るし、又(また)は通路(つうろ)の順(じゆん)を明(あきら)かにする等(とう)のため種々(しゅ〴〵)の符牒(ふてふ)を用(もち)ゐ來(きた)りしは事實(じじつ)なり。
(二)家庭に於ける敎育
アイヌは、其(そ)の兒童(じどう)を敎訓(けうくん)(敎育(けういく))するは、神(かみ)を敬(うやま)ふこと、兩親(りやうしん)に從順(じうじゆん)