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ト」敎徒けうとまた佛敎徒ぶつけうとにありつゝ、病人びやうにん發生はつせい場合ばあひとうには在來ざいらいかみ祈願きぐわんし、「ツスクル」(易者えきしや)に依賴いらいせり。また葬儀さうぎ在來ざいらい習慣しふくわんもつれをおこなひ、しかのちアイヌのちやうをして、かみに、『現今げんこんはシーシヤムプリ(和人わじん風習ふうしふ)にせざるべからざるときなれば、こゝ形式的けいしきてきにのみ何敎なにけう儀式ぎしきおこなふべし。もろ神樣かみさまれをりやうせられんことを』とことはらしめ、こゝはじめて他敎たけうのつとれるしきおこなふなり。

 つゝしみてかんがふるに、敎育けういくけしアイヌは、漸次ぜんじ高尙かうしやうなる宗敎しうけううつべしといへどしからざるものは、ほとんど絕對ぜつたい舊來きうらい宗敎しうけうつることあたはざるべし、さればたいしては、るべく在來ざいらい宗敎しうけう改良かいりやうして、現今げんこん文明ぶんめい適應てきおうするやうにし、もつ宗敎しうけう弊害へいがいふせぐこと肝要かんえうならんといへども、改良かいりやうまただい難事なんじたることあきらかな