より彼(か)の魂(たましひ)を取(と)り戾(もど)し、本日(ほんじつ)の葬式(さうしき)に出(いだ)せし死人(しにん)の代(かは)りのものに靈魂(れいこん)入(い)りて、極樂(ごくらく)に行(ゆ)き、神(かみ)も人(ひと)も共(とも)に安(やす)らけくなるべし』
右(みぎ)は古老(こらう)土人(どじん)が赤誠(せきせい)を籠(こ)め、人情(にんじやう)の微(び)に入(い)りし修辭(しうじ)を用(もち)ゐて祈(いの)りしものなるが、筆者(ひつしや)は之(こ)れを適當(てきたう)なる和語(わご)に譯(やく)する能(あた)はざるを甚(はなは)だ遺憾(ゐかん)とす。
日露(にちろ)戰役(せんえき)の當時(たうじ)、アイヌは漸(やうや)く國家的(こくかてき)觀念(くわんねん)を深(ふか)くしたるものゝ如(ごと)し。我國(わがくに)の勝(か)つべく神(かみ)に願(ねが)ひたる祈禱會(きたうくわい)は、勇壯(ゆうさう)にして、其(そ)の言葉(ことば)は嚴肅(げんしゆく)なりき。此(こ)の事(こと)は思(おも)ひ出(い)づるまゝ、筆(ふで)の序(つひ)でに記(しる)し置(お)く。
(六)「アイヌ」の裁判法
アイヌの裁判法(さいばんはふ)は、大體(だいたい)左(さ)の法則(はふそく)に依(よ)るものとす。罪惡(ざいあく)を裁判(さいばん)