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ど千七百九十二年に繰綿機の發明あるまでは、何等の危難の表面に現はるゝことなかりしが、この發明によりて南部諸州は頓に奴隸勞働の缺乏を感ずるに至れり。二十ケ年の延期滿ちて、愈々奴隸輸入の禁止を實行すべき時は、即ち大に奴隸の數の增加したる時にてありき。其の時以來、奴隸制度は一個强大なる政治的權力の基礎を成し、南部諸州は偏に此の制度を維持し、機會ある每に此の制度の擴張を謀れり。〈譯者曰く、――當時英國に於て紡績の機械發明せられ、紡む事と織る事は進步したれども、これが原料として外國より仰ぐ綿花は、綿と綿の質を分つに一々人の手を用ひたれば、勞多くして功少く、綿花は常に需要に應ずること能はざりき。繰綿機によりて事情一變し、一人の奴隸能く三百人前の綿を繰ることを得たれば、綿花の耕作は米國に於て甚だ有望となり、奴隷の價値大に騰れり。若し此の繰綿機の發明せらるゝことなからんか、若くは二十年後れて發明せられたらんには、リンコン果して歷史の人物たるを得たりや否は頗る疑はし。〉