關する雜書を亂讀することによりて、如何にして博大深奧の識見ある法律家たるを得たりしやと。佘は公言す、彼は斷じて此の如き法律家にてはあらざりきと。彼はシグネット
〈法學雜誌〉に寄書し得たる者にあらず、蘇國の高等法院に辯論して勝利を博する如きは彼の夢想し得たる所にあらず。此の如きは實に數世紀の法學的修練を積みたる者の始めて能くする所也。一婦人あり、曾てホームス博士に問うて曰く『幼兒の敎育は何の時に於て始まるや。』博士答へて曰く『生前少くとも二世紀前に於て』と。余は信ず蘇國第一流の法律家たるにも、亦此の如き修練を要することを。
〈譯者曰く、――英蘭、蘇蘭、愛蘭の三國は、風俗習慣の上に於ても、思想感情の上に於ても、各々別に一乾坤を成す處なれば、政治的合同の意義を離れたる場合は、明に之を別つを可とす。之を混同して英國と〉