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年間、米國大使として倫敦駐剳中、屢々雄辯を以て英國の社交界を驚かしゝは人の能く知る所とす。千九百年十一月、氏が蘇國エディンバラ府哲學協會の名譽會長に推選せられし時、その就任演說たりしは即ち此の『リンコン論』にして、當時直に電報に依りて米國諸新聞に轉載せられて非常の稱賛を得たり。後單行本として行はるもの數種あるに至りしが、孰れも皆數版に及べり。

 從來リンコンの名はアブラハム・リンコルン、若くはリンコーンと發音せられたるが、皆誤れり。正しきはエーブラハム・リンコン也。特に童蒙の爲に之をいふのみ。

  明治四十年六月

譯者しるす