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然れども那珂博士の成吉思汗實錄が成りし時には、此の書の刊本の存するもの無かりしが、其 の翌年(光緖三十四年)、葉德輝、新に之を刊行し、これより東西の學者︀の間に此の書に注意するも の漸く生じたり。葉德輝の刊行せし底本は、陳垣の考證せし如く、文廷式の鈔本なるべきも、此 の本には往々錯簡誤脫あり。昭和十一年(民國二十五年)に四部叢刊に編入して刊行せられし ものは、之に比すれば原本の面目を保つこと多きに似たり。然れども、支那にありては李文田 の元祕史注、これに對する高寶詮の補正を始め、近くは昭和九年(民國二十三年)に陳垣の元朝祕 史譯音用字攷の如き硏究も世に出でたれど、未だ蒙古語還譯の業を企てしものあるを聞かず。 之を企てしは西洋の學者︀にして、五十餘年前、旣にロシヤのポツドニエフによつてそのことは 行はれしなり。惜むらくは、彼の業は完成に至らずして止み、その一部分の公にせられしもの も、傳本甚だ少くして今これを得んこと難し。然るに近年に至りドイツのヘーニッシュまた 之に志し、昭和六年(一九三一年)に其の一部分の初稿公にせられ、昭和十二年(一九三七年)に其の 完譯始めて出版せられたり。なほフランスのペリオもまたこの業に從事せりといふ。され ど未だその書の公にせられしを聞かざるが如し。我が國、滿洲國及び蒙古にありても、最近 服部四郞・都︀嘎爾札布二氏共編の蒙文元朝祕史卷一及びブヘクシク(卜和克什克)またガシグバツ がそれ全部または一部を現代蒙古語に翻譯せしもの世に出でたるも、これらは何れも元 朝祕史の蒙古語復原を企てしものにはあらずして、譯者︀の意圖は別に存せしに似たり。又、 東京外國語學校敎授神︀谷衡平氏・ダフール人メルセにも類︀似の譯業ありと言ふ。なほ小林高四郞氏 が「蒙古の祕史」と題して此の書を我が國の現代語に翻譯せられしことをも、こゝに附記せ んとす。元朝祕史が此の如くにして世界の學界に其の全貌を示し、我が國及び東亞諸︀國の間 に廣く其の面かげの傳へらるゝに至りしは、或は世界文運の進步を示すものとして、或は我が 國威の昻揚に伴ふものとして慶賀に堪へざるところなり。特に我が國に於いて上記の如き 譯書が世に行はるゝを見、成吉思汗實錄が殆ど人の顧るところとならざりし那珂博士在世の 當時を追想すれば、爾後三十餘年間に於ける我が國の文化の發達、知識の進步の眞に著︀しきも のあるを感ぜざるを得ず。博士の遺志をつぎし余の譯業の成れるも、また此の文運の賜にし て、實に盛世の餘澤に外ならず。

 終に臨んで、多年稿本の補修に協力せられし東京外國語學校敎授故出村良一君及び同助敎 授竹內幾之助君に對して深厚なる謝意を表す。特に出村君が前途多望の身を以て忽焉長逝 せられしは、余の痛惜措く能はざるところなり。また索引の作製に從事せられし 和田淸、石田幹之助、岩井大慧の三君に對して、其の好意と努力とを感謝すると共に、東洋文庫が始終この事 業に大なる支援を與へられしことを、こゝに特記せざるを得ず。

昭和十七年二月十一日

白鳥庫吉