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は​撒馬兒干篤​​サマルカンド​に敎正の管區を設けたり。支那も、初は敎正の管區なりしが、第八世紀の初(玄宗の開元中)に、​赫喇惕​​ヘラト​・​撒馬兒干篤​​サマルカンド​と共に大敎正の管區に陛せられき。敎主​提抹世​​チモシー​の時(七七八-八二〇)、​荅微篤​​ダヸト​と云へる支那の大敎正に任じたること見え、又第九世紀の中頃に、支那の大敎正は、他の東方諸︀國のそれらと共にその地の遠きに由り、敎會の毎四年の集會に參列せざることを許され、その事業の有樣の報吿を六年毎に送るべきことを命ぜられたること見えたり。​阿喇必亞​​アラビア​人​阿不賽篤​​アブサイド​の談に據れば、八七八年(僖宗の乾符五年)に、澉浦(卽杭州)の夥しき外國居留民の一部は、​克哩思惕​​クリスト​敎徒なりと云へり。

 ​捏思脫兒​​ネストル​派の​克哩思惕​​クリスト​敎の支那に行はれたる景況は、景敎の碑に詳かなり。景敎の碑は、委しく云へば「大秦景敎流行中國碑」にして「久しく地に埋もれ居たるを、明の天啓五年(我が寬永二年)にふと掘り出したる物なり。その碑文を飜譯し注釋したる人數多き中に、​陽瑪諾​​ヤンマノ​(​奄馬努額勒​​エンマヌエル​)の景敎碑頭正詮などあり。その碑文には​阿羅本​​アラボン​を大秦國(​囉馬​​ローマ​卽東​囉馬​​ローマ​)の大德と云ひ、貞觀九年に長安に至り、十二年に詔ありて京の義寧坊に大秦寺を造るとあれども、實は​阿羅本​​アラボン​は​珀兒沙​​ペルシヤ​より詣り、寺の名も波斯寺と云ひしを、後に改めたる名を以て追稱したるなり。册府元龜に曰く「天寶四載九月、勅波斯經敎、出自大秦。傳習而來、久行中國。爰初建寺、因以爲名。將以示人、必循其本。其兩京波斯寺、宜改爲大秦寺。天下諸︀州郡有者︀、亦宜準此」とあり。杜佑の通典に(姚寬の西溪叢語、馬端臨の文獻通考も同じく)、この勅を引き、九月を七月とし、循を脩と誤れり。波斯寺を大秦寺と改められたる理由は、蓋當時​珀兒沙​​ペルシヤ​は​撒喇先​​サラセン​國の領地となり、​抹哈篾惕​​モハメト​敎の中心となりたる故に、​克哩思惕​​クリスト​敎を​珀兒沙​​ペルシヤ​の宗敎の一派と見られんことを嫌ひ、かつ​克哩思惕​​クリスト​敎の起りたる​失哩亞​​シリア​の地は、もと​囉馬​​ローマ​帝國卽大秦國の領地なりし故に、「波斯經敎、出自大秦」と云へるなり。諸︀州郡に波斯寺の立てられたる事は、景敎の碑に「高宗大帝、克恭纉祖︀、潤色眞宗。而于諸︀州、各置景寺、仍崇​阿羅本​​アラボン​爲鎭國大法主。法流十道、寺滿百城」とあり。寺の名を改めたることは、固より碑には載せざれども、「天寶三載、大秦國有僧︀佶和、瞻星向化、望日朝尊。詔僧︀羅含僧︀普論等一七人、興大德佶和、於興慶宮修功德。於是天題寺牓、額戴龍書。寶裝璀翠、灼燦丹霞。睿札宏空、騰凌激日。寵賓︀比南山峻極、沛澤與東海︀齊深」とあり。この寺牓龍書は、佶和の至れる翌年、寺の名を改めたるに由り勅額を賜はれるならん。​失哩亞​​シリア​の古記に第八世紀の初に支那を大敎正の管區に陞せきとあれば、この大德信和は、蓋初めての大敎正なるべし。天寶三年は、西紀七四四年なり。

 又通典に「貞觀二年、置波斯寺」とあるは、二の上に十の字を脫したるなり。西溪叢語には「貞觀五年、有傳法​穆護何祿​​モグハロク​、將祆敎詣闕聞奏。勅令長安崇化坊立祆寺、號大秦寺、又名波斯寺」とあり。五年は、九年の誤なり。​穆護​​モグ​は、​珀兒沙​​ペルシヤ​語の​抹古​​モグ​卽​馬只​​マヂ​にて、祆敎の僧︀なり。唐の人は、景敎を祆敎と混じ居る故に、景敎の僧︀をも​穆護​​モグ​と云へり。​何祿​​ハロク​は​阿羅本​​アラボン​の訛にて、​阿​​ア​を​何​​ハ​と誤り、​本​​ボン​の字を脫したるなり。​阿羅本​​アラボン​の來朝は、貞觀九年にして、寺の建立は十二年なるを、建立の年を揭げざるは疎なり。佛祖︀統紀に「貞觀五年、勅於京師建大秦寺」とあるは、全く西溪叢語に依りて誤れるなり。

 景敎の碑は、始めに「大秦寺僧︀景淨述」、末に「大唐建中二年、歲在作噩、太簇月七日、大耀森文日建立。時僧︀寧恕知東方之景眾也」とありて、卽西紀七八一年、​提抹世​​チモシー​の敎主たる間にして、寧恕と云へる大敎正の時に立てられたり。この寧恕は、​提抹世​​チモシー​の任じたる大敎正​荅微篤​​ダヸト​の漢︀名なるか、その前の大敎正なるか、知るべからず。この碑の地に埋められたるは、武宗の佛寺を毀ち、僧︀尼を還俗せしめたる時の事なるべし。

 舊唐書武宗紀會昌五年(西紀八四五年)「四月、勅祠部檢括天下寺及僧︀尼人數。大凡寺四千六百、蘭若四萬、僧︀尼二十六萬五百。七月、勅併省天下佛寺。中書門下條疏聞奏「據令式、諸︀上州、國忌日、官吏行香於寺。