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八。​斡囉納兒​​オロナル​。


1。​阿朮魯​​アチユル​。

 列傳卷十、​阿朮魯​​アチユル​は蒙古氏とあれども、​阿朮魯​​アチユル​の孫​懷都︀​​ホワイド​の僂(勿傳卷十八)に​斡魯納台​​オルナタイ​氏とあるに據れば、蒙古氏は、蒙古​斡魯納台​​オルナタイ​氏と云ふべきを脫したるなり。「太祖︀時、命同飮​班朱尼​​バンヂユニ​河之水」。​懷都︀​​ホワイド​の傳には「祖︀父​阿朮魯​​アチユル​、與太祖︀同、飮黑河水」とあり。​懷都︀​​ホワイド​は、世祖︀の時南征して、屢戰功ありき。


2。​怯怯里​​ケケリ​。

 列傳卷十、​怯怯里​​ケケリ​、​斡耳那​​オルナ​氏。太宗の時、千戶。


九。​篾兒乞惕​​メルキト​。


​紹古兒​​チヤウグル​

 列傳卷十、​紹古兒​​チヤウグル​​麥里吉台​​メリギタイ​氏。「事太祖︀、命同飮​班朱尼​​バンヂユニ​河之水」。洛磁等路の都︀​達魯花赤​​ダルハチ​。


十。​別速惕​​ベスツト​。


​抄兒​​チヤウル​。

 列傳卷十、​抄兒​​チヤウル​、​別速​​ベス​氏。子​抄海︀​​チヤウハイ​、孫​別帖​​ベテ​と、祖︀孫三代皆陳に歿し、​別帖​​ベテ​の子​阿必察​​アビチヤ​も、至元中疾にて軍中に卒しき。


十一。​束呂糺​​シユルギウ​。


​塔不己兒​​タブギル​。

 列傳卷十、​塔不己兒​​タブギル​、​束呂糺​​シユルギウ​氏。太宗の時、招討使、征行萬戶。子​脫察剌​​トチヤラ​、孫​重喜​​チユンヒ​。​重喜​​チユンヒ​は、列傳卷二十に別に傳あり。


十二。​忙兀惕​​モングト​。


​直脫兒​​チトル​。

 列傳卷十、​直脫兒​​チトル​、​蒙古​​モング​氏。父​阿察兒​​アチヤル​は、太祖︀の​博兒赤​​ボルチ​(​寶兒赤​​バウルチ​)。​直脫兒​​チトル​は、孫​忽剌出​​クラチユ​の傳(列傳卷二十)に​赤脫兒​​チトル​とあり。太宗九年丁酉、涿州路の​達魯花赤​​ダルハチ​。


弐。色目。



一。​唐兀惕​​タングト​。


1。​察罕​​チヤガン​。

 列傳卷七、​察罕​​チヤガン​、​唐兀烏密​​タングウミ​氏。​鳥密​​ウミ​は、​於彌​​オミ​とも書き、李恆の傳に「其先、姓​於彌​​オミ​氏。唐末賜姓李、世爲西夏國主」とあり。李恆は、西夏國主の子​兀納剌​​ウナラ​城を守りて死したる人の孫なり。恆の子李世安の墓誌を吳澄の撰りたるに「公、西夏​賀蘭於彌​​ハランオミ​部人也」とあるに據れば、國亡びたる後住みたる部落の名を姓としたるにて、傳の如く李姓を賜はれる前に稱したるには非ず。故に錢大昕の考異に「西夏之先、本​拓跋​​トバ​氏。​於彌​​オミ​與​拓跋​​トバ​、音不相近。蓋元時國俗之語」と云へり。​察罕​​チヤガン​は、太祖︀の時、御帳前の首千戶。太宗十年戊戌、馬步軍