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又私は國語の知識もなく言語學等に就て全く門外漢であります。唯此方面に於ても我國史を經濟的に觀察すること、又其反對に經濟學上の爭論を解決するには我邦の歷史は必ず大に參考とする必要のあること等の一端を窺ひ得る樣に思ふ餘り、斯くの如き詰らぬ考を公けに致す次第であります。何卒歷史專門家諸君に於て少しは此方面に指を染められたいものです。然れば私の右の卑見が根本的に打破せらるゝ位は少しも厭ふ所ではないのであります。猶右認めた外少々は調べて見たのてすが何分纏りが付きませんから、追ての機會を待つことゝ致します。  (六月五日記す)

追記 本稿を草し了りました所へ偶然に敬友內田文學博士から『貨幣の起源』本誌百八十號の別刷の惠送を受けました、依て早速一讀致しました處、私の考と餘程近き御說もある樣に拜見しました。就て思ふに私が橫山由淸氏のみをあげて、內田博士の事を申さなかつたは手落でありまして、博士も確に卓見の名を享けらる可きことゝ思ひます。專門史家中博士の如き御論のあるを知るは私の甚だ心强く感ずることであります。依て私の愚考も之を博士の御說と比較せられたならば讀者に於ても大に御參考となることゝ思ひます。唯私の切望する所は博士が數年間中絕せる右稿の後部を一日も早く公けにせられて、我々門外漢の蒙を啓かれたい事であります。博士の御論と愚考と違つて居る點に就ては、其以前に於ても、機會がありましたならば、御示敎を得たいも

續經濟學硏究 第二篇 經濟史雜考 一七九