われみにて。今の与右衛門に入むこさせて置給ひしが。
終に与右衛門が手にかゝり。かのかさねも此絹川に沈み
果しは。是も因果のむくひならんと。思ひ合せて見る
時は。今の与右衛門もさのみはにくき事あらしと。す
すりなきをしながら。いと明白にかたれば。聞居たる
人〻も。みな尤と感しつゝ各〻なみだをながしけり。
さて此八右衛門がはなしにて。かさねが年の数と。すけが
川へながされし。年代を考れば。先助が川のみく
づと成しは。慶長十七年壬子に當れり。またかさねが
年の数は。三十五の秋の中半。絹川にて殺されし
とは見へたり。さて八右衛門が物語畢て。祐天和尚きく
に向てのたまはく。汝すけがさいごの由來。つぶさにもつ
て聞届たり。爾るに今菊に取付事。何ゆへ有てきたる
ぞやと。きく息の下にて答るやう。累が成仏したるを
見て。我も浦山しく思ひ來れりと。和尚此よし聞し召
名主に向てのたまふは。これは人〻の。ふしんをはらさん
ためなれば。我が問ふことばと。助が答る相拶を。一〻
にふれたまへとあれば。名主御尤と立あがり。大音聲にて。先
のごとく。云つたへければ近くも遠くも一同に。声をあげ
てぞ泣にける。さて其次に問たまふは。六十一年の間何
くいか成所に在て。何たるくげんをうけしとあれば。助が
いわく。川の中にて昼夜水をくろふて居申たりと。又