手にくる〳〵打まとひ。首を取て引あげたまふ時。菊はわなゝく
聲を出し。あゝとなゑん〳〵といふ時。和尚のいわくさては累が
しかととなへよといふかと聞給へば。菊答て中〳〵さ申といふ故
に。爾はとてかみふりほどき手をゆるし合掌叉手して十念
を授け給へば。一〳〵に受おわんぬ。扨累はと問たまへば。菊がいわく
只今我が胸よりおりて。右の手を取わきに侍ると。又十念を
授けて問給へは。今爰を去て窓かうしに手をうちかけ。
うしろ向ひてたてるといふ。また十念をさづけて問たまへ
ば。その時菊起きなおり。四方上下を見めぐらし。
よにもうれしげなるかほばせにて。累はもはや見え申
さぬといへば。其時座中の者共。皆一同に聲をあげ。近比御手
からと云時。又菊いとわびしき音根を出し。それよ〳〵それさま
のうしろへ。累がまた來る物をと云う時。和尚はやくも心へ
たまひ。守り本尊を取出し。扉を開き菊に指向けて
累がつらはかやう成しか。と問たまへば。菊がいわくいなと
よかほをば見ざりしかといふて。のびあがり。あなたこなた
を見廻し。わかれいづちへか行きけん。たちまち見へずと
いふ時。和尚又菊に十念を授けたまひ。近所より叩かね
を取よせ念佛しばらく修め。廻向して帰らんとしたまひ
しが。名主年寄兩人に向て宣ふは。此灵魂のさり
やう。いささか心得がたき所有。併実に累が灵魂なら
は、もはや二度來るまじ。若又狐狸のわざならば。また