すそをつまどり。あとやまくらにたゝずみて。菊が苦痛を見たまへば。のみしらみのおそれもなく。けがれ不
浄もわすられて。みな〳〵座にぞつき給ふ。扨導師枕に近寄たまへば。何とかしたりけん。菊が苦痛忽
やみ。大息つゐてぞ居たりける。時に和尚問たまわく
汝は菊か。累なるかと。病人答へ云やう。わらわは菊
で御座有が。累は胸にのりかゝつて。我がつらをながめ
居申と。和尚又問たまわく。いか様にして汝を責るや
と。菊がいわく。水と沙とをくれて。息をつがせ申さぬと。
和尚又問ひたまわく。累はなんといふて。左のごとくせむ
るぞやと。菊がいわくはやくたすけよ〳〵といふて責
申と。いとあわれなる声根にてたえ〴〵しくぞ答へける
其時和尚聞もあへたまわず。今さらば各〻。年來所持
の經陀羅尼。かゝる時の所用ぞと。まづ阿弥陀經三
巻。中聲に讀誦し。廻向已て。扨累はと問給へは。菊
がいわく。そのまゝ胸に居申と。次に四誓の偈文三反誦じ。ゑこうして又問たまへば。今度も同じやうにぞ
答へける。扨其次に心經三反誦じ已て。前のごとく尋ね
たまへば菊がいわく。さて〳〵くどき問ごとや。それさまたち
の目にはかゝり申さぬか。それほどそれよ。我胸にのりかゝり
左右の手をとらへて。つらを詠めて居るものをといふ
時。和尚又すきまあらせず。光明真言七反くり。