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 時之長官、昌谷彰閣下、永井金次郞閣下、課長、高橋剛氏、支廳長、來富氏、谷氏、丹氏、同係長長谷川氏、高橋光氏、神代氏、齋藤氏、所長、布野憲氏、松本剛氏、建築請負者は、村岡久松氏である。併して此部落は本島土人部落の多蘭泊、智來、富內、樫保と共に將來有望の部落で有る。

イタタクシナイ(板田)

 イタタクシナイ(解)イタタキウシの轉訛(イタタキウシ)は夏期此川端で魚を板に載せ刄物を以て魚の尾や骨を細かく刻む、タタクを名詞としたのである。併して此處は中古に土人が住んで居たと云ふが邦領に成つて、邦人赤阪市三郞氏が此處に漁場を建設し最初鱒漁と、鱒の鑵詰に從事し相當に成績を揚げたのである。併して漁網を投入すれば鰊も多少づゝ來網するを以て漸次鰊漁業と共に最近好成績を得るに至りし有名の漁場である。


四〇、オタサン

(小田寒)の一

 オタサンの(解)オタサンは砂濱の事にして、オタ(砂)サン(出る)砂濱が突き出ると云ふ意味で有る。