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ルトル(白濱)は山海共に近く又附近の地味肥沃なれば農耕に適するを以て部落民は、農作思想を起すに至るを得べし、さすれば一層有益なりと云ふので、大正六年二月十六日、新部落の設置方の請願書を當局に提出したので有る。

 然るに種々の事情の基に延期し越へて大正十年八月一日に各部落一齊に移轉する事になり、其以前大正九年、當局に於ては土人の爲め全八十棟の住宅と學校と事務所の二棟と全部八十二棟を建設し終つたのである。

 然して大正十年八月一日豐原支廳管內土人部落十ケ村が此處に移轉すると同時に九ケ村の部落惣代は大谷熊吉、大谷部落惣代、モメランケアイヌ落合部落惣代、安根安太郞相濱惣代、坪澤金太郞小田寒惣代、白川磯太郞白浦惣代、ハルカアイヌ眞縫惣代等が評議員を命ぜられた。

 露禮惣代內藤勝太郞氏が、評議員議長、白濱部落の總代を命ぜられた。榮濱惣代坂井幸太郞氏は、評議員を命ぜられたのである。

 又敎育所には伊藤淸勝氏が敎員を命ぜられ土人指導者には、初任東海林正光氏、二任高橋淸一氏、三任白石氏、四任伊藤淸勝氏が兼任を命ぜられ、現在に及んだので有る。