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へなかつた。併して木村愛吉氏の邦領以來は、驛締兼、渡船及部落總代等の公職にも就かれ、公衆の爲め盡くされたのである。


三九、シルトル(白濱)

 シルトルの解、シルトルとは道程の中間の稱にして元小田寒より、相濱迄五里である故に白濱は其中間、卽ち二里半の處である。昔は此處に部落なく旅行者及犬橇にても必ず此處で休息する。犬橇には、セタイビルと云つて椴松の葉を折り來りて犬や橇又は、枝葉を以て惡魔ばらひを行ふので有る。

 此白濱は當時、廣漠たる密林地であつた。然るに豐原支廳管內土人部落は、大谷、落合、露礼、內淵、相濱、小田寒、白浦、眞縫、函田、榮濱の十ケ所の土人が、從來の散在部落にては公私の不利少なからず。依て之等部落を一ケ所に合併すれば、第一敎育方面の四校(現在)を一校とし部落民も在來の習慣の短所を脫し茲に新智識を求るを得べきを以て茲に新部落を設置すれば公私共に便利否將來の爲め有益ならんと、協議一決に至つたのである。其處で其一ケ所の位置を選定する必要あり依つて此のシ