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タコイ、アイ等の部落土人にして主として鮭漁に出掛るのである。

 此の出船には各酋長は申すに及ばず船長には同地の酋長アラケマウシの實兄(某が)其任に有つたと云ふ。其實兄の子孫が、現白濱の阪井幸太郞である。露領時代は此榮濱に前記各部落の土人が此處に五月初旬より鰊漁に集る。併して當時土人の漁獲したるは邦人に賣却すと雖も主としてアイヌや犬の食料である。

 明治三十四年に榮濱の土人にして、サンブロクアイヌ領有後改名、伊場三六と云ふ者、ハブロフカに趣き土人のポン網現今の小建網と稱する漁網を以つて漁業を經營するの許可を受け、翌三十五年より此處に漁業を營む事に成つたので、當時余も其一權利者に加はつたので有る。

 併して此の、サカエハマの附近、元の炭棧橋の處を、アイスがシユマヤ解沖に岩石あるの稱此處には露領當時氏名不詳家號(大〆)と云ふ某人が漁業を經營し榮濱には當時の家號主が漁業經營し居るも明治三十一二年の頃漁業抛棄となつた。當時土人の家が四棟あつたが一棟の主人はハアビリカと云ふ老人がシンバヤアイヌ現若山氏の漁場に近き現雜漁業者古川仁三郞氏の沖に海豹の上る岩石あり、或日海豹を捕へんとして過つて海に落ち溺死したので土人の習慣として其家を倒潰した。